1 :名無しさん@Next2ch:2015/03/19(木) 12:48:31.26 ID:???※抜粋しています
日本の危機を1冊にまとめた松下
「このままでは、いけない。いまのままで、手をこまねいていれば、お互いに破滅してしまうほかない。
なんとかこの難局を切り抜けて、そこからよりよい日本をつくりあげていかなくてはならない」
翌年の2月であった。ある週刊誌が同書について、取材したいと申し入れてきた。
指定された日は予定で詰まっていた松下は「この本についてお前がいちばんわかっていると思うから
自分に代わって取材を受けよ」と言う。
先方に連絡すると、急いでいるのでそれでもいい、という返事。
しかし、電話の話の内容から、批判記事にまとめようとしていることがわかった。
とは言え、私は、大阪から急遽、東京の、その出版社に出向いた。
厳しい記者からの取材
予想通り、質問は厳しかった。私は、丁寧に時間をかけて、説明に説明を必死で続けた。
予定の時間は越えて、もう23時近くになり、帰る最終の新幹線もとっくに過ぎていた。
はじめは詰問調の記者も、私の必死の答える姿に、憐れと感じたのか、次第に穏和になり
それどころか、ホテルを探すことまで心配し、あちこちに電話をしてくれた。
あいにく、雪が降っていた。ということもあるのか、どこのホテルも満室。
ただ新宿の京王プラザが1室空いていた。
「宿泊料料金が高いですが、いいですか」と、記者が気の毒そうに言うが、そこしかなければ仕方がない。
そこに宿泊することにして、お礼を言いつつ、何回も頭を下げた。
その翌朝、5時に起きて、いちばんの新幹線で大阪に戻り、そのまま、松下のところに報告に行った。
「詳細に説明してきました。お書きになったお気持ちも十分、話をしてきました。
そういう松下さんの気持ちなのかと理解していただきました」と報告すると
「それでいい」と笑顔で応じてくれた。
2 :名無しさん@Next2ch:2015/03/19(木) 12:49:20.89 ID:???しかし、その週刊誌が発売されて、見ると、『崩れゆく日本』については
比較的淡々とした内容紹介であったが、あろうことか、同書の内容を引用して
「松下電器批判」になっていた。驚いた。私は一言も触れていない内容に仰天した。
松下に、そのことを話しながら、34歳であったが、心のなかで涙が溢れそうになった。
松下は、私の報告を、週刊誌を開き眺めながら、聞いてくれたが、聞き終わると、ニヤリと笑いながら、
「これ、きみが取材を受けてくれたんやな。
一生懸命やっても、週刊誌の記者さんは、はじめからひとつの結論を持っているんや。
仕方ないわ。こんなもんやで。きみ、心配せんでいいよ。
まあ、辻斬りにあったようなもんや。
いや、むしろ、この本のいい宣伝になっとるやないか。さらに売れるよ、この本は。
きみがまた、貢献してくれたわけや」
その言葉に、感動をした。ありがたかった。ほんとうに涙が出そうになったことを今でも思い出す。
そして、呵々大笑して、一言。
「まあ、これからな、きみもいろいろ、こういうことを経験するようになる。
けどね、辻斬りの刃をヒラリとかわす名人もいるわな。
そういう、刃をかわす名人になれや。これから勉強していったらな、きみも名人達人になるわ」
ちなみに同書は、60万部を超えるベストセラーになり
昭和51年1月には、全国の書店が選ぶ、最も書店の売り上げに貢献した書として、第10回「新風賞」を受賞している。
画像等
http://i.imgur.com/hE2yLJn.jpg
(全文はリンク先で)
以下ソース
http://toyokeizai.net/articles/-/61516
3 :名無しさん@Next2ch:2015/03/19(木) 21:26:58.84 ID:???批判を許容する懐の深さがあったって訳ね
今は言論機関でも告訴するからみっともない
4 :名無しさん@Next2ch:2015/03/19(木) 21:31:48.30 ID:???何のニュースなのか分からん。
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