表現は正しくないかもしれない
俺は自らの意志ではなく何者かに導かれるままにふらりと日比谷線に引き込まれたのである
大いなる日比谷線に包み込まれた俺は湧き出る安堵と一抹の不安に苛まれながら自分が自分でないような気がして天井に浮いている気分になった
いくどとなく空からの聲に従って彷徨っていた俺だが、はたして今回ばかりは神のお告げか幻聴か、その聲に従った結果、便意を催すことができたのである
その時、俺ははたと立ち止まった
たしかに、たしかに思ったのである
俺は脱糞を“してしまう”のではないと
つまり俺は、自らの『意志』で脱糞を“しようと思い”、その結果脱糞を“した”のである
逃げ続けた人間の終着地点
それは記念すべき新たなページをめくる日となった
幼少期より親の敷いたレールに乗り、反抗期もなく、ただただ親の言うことに従うことしか知らず、あげく脱線し、その結果逃げ続けた俺が、はじめて自らの『意志』で行動したのである
その後は幻覚妄想の世界の中をひた走るのみとなり、ことの顛末は知る人がいない
俺が自我を取り戻した時は、ただ保護室の黄ばんだ天井が目に入るのみであった
―――2020.9.??? ※記憶が錯綜しておりはっきりとは思い出せない