一年間暇だしなんか続けようとおもう ID:+PlLPL1h

65以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2020/01/22(水) 03:00:45.37 ID:+PlLPL1h

評論か、まあやってみるか

66以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2020/01/22(水) 04:24:35.69 ID:+PlLPL1h

多様性を認める社会、今日のグローバル化の進む社会で切り離せない話題だ
民族、宗教、国家、LGBT、さまざまな事情や、考え方が生まれている
正確には生まれた、のではなく情報の伝達スピードや、社会システムが飛躍的に
進歩している中でそういった考えをする塊がつながりやすくなり、見過ごせなくなったといえる
今や、LGBTなどは当然認められるべき社会とされているが、一昔前なら本人は一生孤独で過ごすことが当たり前であったであろう
こうした社会の中で私たちは今一度、多様性というものの本質を考える必要が否応にも出てきたのである
では多様性とは何か
多様性とは幅広く異なる群が存在すること うぃき参照
つまり多様性とは上記したようにLGBTを持つ塊、のことである
ここで問題なのは、近年多くみられる、個人主義の暴走であると思う
自らの意見を言えることは正しい。といった考えは欧米諸国から輸入され今や、日本でもそういった主張が当然とされている
しかしそれが暴走すると、私は私、あなたはあなた。違う人間なのだから多干渉しないで、といった私個人が何よりといった主張がされてしまう
私の意見はこう。あなたはこう。それ以上話すことは何もない、多様性を認めてよ、と
しかしそれは多様性はほど遠い。なぜならばそこに群というものが存在しないからだ
今現在、様々な考えが氾濫し、跋扈している
多様性を認めるということは、多様性を認めたくないという考え方をもつ群も認めなければならないのである
そのために大事なことは、自らがどういった群に所属しているのか知ること、である。
そのうえで今どういった価値観を是とし、どういった価値観を非としているのかを明確にしていくことが
社会の多様性を認める一歩であると考える
個人という枠組みで考えてしまうとどうしても窮屈で一方的になってしまう。自らがどういった群の中にいるのか
理解したとき、そこで初めて君たち個人の意思というものが価値を持ち、多様性に対してある種の答えを導き出せるのではないだろうか。

書けねぇ!いつかもっときちんと書きます


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