>>1で指摘していることは、貧乳娘の魅力と巨乳娘の魅力である
だが、その内容は彼女らの身体的特徴に関する魅力ではない
彼女らが自身の胸を気にするときのその思考回路についてであり、いわば内面的なことについてである
それらは彼女らの魅力を失わせるものではなく、むしろ増大させる
身体的な特徴から好みの女の子を選ぶ、という考え方には共感できる部分があるが、この議論で真に重要なのは女の子の体ではない
いま考えなければならないのは、彼女らが自分の胸を気にするとき、そこにどのような思考が生まれるかということである
両者の思考は当然ことなる
貧乳であること、あるいは巨乳であることで当然彼女たちの間には考え方に違いが出てくるはずである
その過程を追う途中で、彼女らにどのような魅力が足されるのかを述べたまでである
例えば、貧乳娘について述べたとき、その魅力のひとつとして「子供っぽさ」を挙げた
ここで言う「子供っぽさ」とは、自身の貧乳っぷりに自信を持てない彼女の心の成熟度について述べたものである
成熟した女性ならば、自身の胸の小ささについても納得し、自分を受け入れることができるであろう
しかし議論で挙げた貧乳娘にはそれができないのである
魅力的なのは彼女のそうした心であり、「貧乳が気になる」という表だった悩みではない
コンプレックスとは思考の末に出てくる結果のようなもので、あくまでも表面的な問題である
忘れてはならないのは、その結果に至るまでにも彼女らの心は動いている、という点である
我々はあくまで第三者の目から彼女の思考過程を思い浮かべなければならない
彼女の抱えるコンプレックスがそのまま魅力に繋がるのではなく、そこに至るまでの彼女の心のあり方こそが真の魅力となるのだ