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いまどきヘーゲル的歴史観て・・・ 
それこそ社会的に構築された“創られた伝統”であってジェンダー・ポリティクスの批判対象になるべきものだろ?
簡単に言えば、消費行動と文化的アイデンティティがエポケーされた「異化作用」の階層的な二項対立の形而上学こそがジェンダーベリフィケーションなのよ。
“サバルタンは語ることができない”とはこういう意味なの。
このあたりを数学的に言えば、位相線型空間内部の真性特異点が拡大の自己同型群の閉部分群と等長変換されるわけだろ。
つまりゲオルグ・カントールが予言してゲーデルの不完全性定理で見事に証明されたってワケ。
あるいはル・クレジオ的な文学におけるクイア理論的なナラトロジーでもいいんだけどさ。
あなたのディスコース(言説)のトリヴィアルに神経症的な部分がエクリチュールの過程で無残にも前景化されたわけで。
そういったことが私のディコンストラクション(脱構築)の射程に入るのよ。ポストコロニアルな“政治”のレトリックだね。
クィンティリアヌスくらい読めよ。