あとあんだけ長いのに!一文字で済まされるところも気になるね
あとあんだけ長いのに!一文字で済まされるところも気になるね
!?の組み合わせも内心快く思ってなさそう
それには同意しかねるな
ヘーゲル的歴史観に立つ俺からすればテロスがニヒリズムに否定され得るアポリアだとして
そのドラスティックなヒューマニズムの上にアジェンダを構築することがアルチュセール的構造主義における、ミームだ。
いずれにせよ、ケイオスティックな人間存在における経験をテクネーへと、普遍へと、止揚することが、デカルト的パラダイムのモダニズム的出発点だ。
エピステーメー的に論考すればリングイスティックターン以降の日常的言語学派におけるアフォーダンスをシラバスにおいてエキュートすることが
アカディメイアのタスクだと思われさもなければ想像の共同体はサイバーカスケードの上にもろくも崩れ去ってしまう。
>>2
どっちが先かで揉めてそう
いやスタンダードは「感嘆符」だから彼も満足してる
ネギま?!
やっぱり違和感あるな
印刷業界の人は今でも雨だれって言うのかしら。
>>3
いまどきヘーゲル的歴史観て・・・ 
それこそ社会的に構築された“創られた伝統”であってジェンダー・ポリティクスの批判対象になるべきものだろ?
簡単に言えば、消費行動と文化的アイデンティティがエポケーされた「異化作用」の階層的な二項対立の形而上学こそがジェンダーベリフィケーションなのよ。
“サバルタンは語ることができない”とはこういう意味なの。
このあたりを数学的に言えば、位相線型空間内部の真性特異点が拡大の自己同型群の閉部分群と等長変換されるわけだろ。
つまりゲオルグ・カントールが予言してゲーデルの不完全性定理で見事に証明されたってワケ。
あるいはル・クレジオ的な文学におけるクイア理論的なナラトロジーでもいいんだけどさ。
あなたのディスコース(言説)のトリヴィアルに神経症的な部分がエクリチュールの過程で無残にも前景化されたわけで。
そういったことが私のディコンストラクション(脱構築)の射程に入るのよ。ポストコロニアルな“政治”のレトリックだね。
クィンティリアヌスくらい読めよ。