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西暦802年に(法相宗の清水寺を創建した)征夷大将軍 坂上田村麻呂に討伐された後、全国に移配された根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)。
次いで西暦817年~西暦821年に行われた東北の蝦夷(えみし)政策の基本方針を巡る法相宗の高僧 徳一(興福寺の僧で会津の清水寺<慧日寺>などを開山)と天台宗祖 最澄の間で『三一権実争論』が行われた。
>法相宗の『五性各別』
>法相宗の「五性各別」(ごしょうかくべつ)は、仏教徒の能力や資質に基づいて人々を五つの異なる性格(五性)に分類する教えです。この教えによれば、人々はそれぞれ異なる仏性を持っており、全員が仏に成れるわけではないとされています。具体的には、菩薩性、独覚性、声聞性、定性声聞、無性などに分類されます。法相宗では、この分類に基づいて修行の道が異なるとされ、一部の人々(『無性』の人々)は仏道に進む(悟りを開く)可能性がない、つまり元々 仏性が欠けており絶対に成仏できないとされています。
要するに、「五性各別」(ごしょうかくべつ)を説く法相宗は、そもそも蝦夷(えみし)の多くは『無性』だから、根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)に幾ら熱心に布教しても無駄だと主張したと考えられる。
一方、『一切衆生悉有仏性』、『草木国土悉皆成仏』など絵空事を説き、根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)を買い被り続けた天台宗祖 最澄。
『三一権実争論』(西暦817年~821年)において、天台宗祖 最澄は法相宗の高僧 徳一に対して罵詈雑言を浴びせつつ強引に“勝ち名乗り”を上げ、弟子の円仁 共々 東北各地に布教を開始した。
それから1,050年後、ドイツの武器商人シュネルから最新兵器を買い付け、根っからの無法者としての本性を現した東北の蝦夷(えみし)は、戊辰戦争において徳川の残党である松平容保や酒井玄蕃などを担いで薩長土肥の官軍に対し猛烈に反抗した。
更に戊辰戦争の敗者ながら明治維新政府の日本近代化政策によって大和民族と対等の法的地位を得た、根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)からは、日頃「日本人と支那人は兄弟だ」などと調子の良いことを言って置きながら東北に冷害が発生すると突如として独断で満洲事変を引き起こした石原莞爾や、狂人ヒットラーのナチ党と同盟を結んで無謀な太平洋戦争に突入した東条英機のような超危険人物が登場し国政を壟断した。
また、根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)の血を引く同和(穢多・非人)が6割を占めるヤクザは、自由主義ブルジョア日本経済を牽引して来た大企業を乗っ取る目的で、ヤクザと癒着する日本の財務官僚(日銀への天下り役員を含む)や日本の公立学校教員を脅し、出鱈目『量的金融緩和』を含む『国策デフレ』を強行させ名門企業を次々と経営危機に陥らせた。
根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)や、東北の蝦夷(えみし)の血を引き暴力、詐欺、脅迫で我を通すヤクザの6割を占める同和(穢多・非人)が、石原莞爾や東条英機のように再び日本の国家権力を私物化する危険性は未だ全く解消されていない
法相宗の高僧 徳一と天台宗祖 最澄の『三一権実争論』から1,200年が経ち、法相宗の高僧 徳一の圧勝だったことは火を見るより明らかである。
天台宗は責任を取って潔く廃宗し、比叡山延暦寺を閉山すべきである。