日本の刑法に『誹謗中傷罪』は存在しない #17

17横浜地判は偏向しており不当:2023/10/12(木) 20:43:47.51 ID:???

@@@イザベラ・バードは『朝鮮紀行』の中で、李氏朝鮮の悲惨な庶民生活、腐敗し切った官僚、残虐な刑罰、西洋列強によって植民地化される前に李氏朝鮮を近代化しようと行動を起こした日本について、次のように乙未(いつび)事変の際の閔妃暗殺作戦については残虐性を指摘したものの、朝鮮を近代化しようとする日本の努力については概ね評価している(清朝と結びついた李氏朝鮮の守旧・反動勢力を痛烈に批判している)。
@@@



>『朝鮮紀行(ちょうせんきこう、Korea and Her Neighbours)』Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C

>イザベラ・バードが1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけて、4度にわたり最末期の李氏朝鮮(朝鮮王朝)を訪れた旅行の記録。

>1894年の訪問時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している[3]。

>朝鮮中の誰もが貧しさは自分の最良の防衛手段であり、自分とその家族の衣食を賄う以上のものを持てば、貪欲で腐敗した官僚に奪われてしまうことを知っているのだと分析している。

>朝鮮には実質階級が盗む側と盗まれる側の2つであり、両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の5分の4をゆうに占める非貴族は文字通り「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することがその存在理由となっていた。宗主国(支那)の影響のもとに、朝鮮の両班たちは貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上ほしいままにしてきた[15]。

>1895年10月、乙未(いつび)事変の一報に接すると、閔妃に愛情を抱いていたバードは、日本の当局の妨害をものともせず、漢城に向かう。これが3度目の朝鮮訪問となった。

>約2か月漢城に滞在し、閔氏殺害について子細に記録した。事件について「野蛮な殺害」、「乱暴な暗殺」、「悪魔的な殺害」と表現し、この流血の所業がソウル駐在日本公使館の手になる野蛮なクーデターであることを認めている。

>朝鮮の官僚については、日本の発展に興味を持つ者も少数はいたものの、多くの者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲のために改革に反対していたとし、堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したが、それは困難きわまりなかったと述べている。

>朝鮮の仏教は日本の大きな仏教改革派の特色である正義を求める崇高な目的や向上心は何も見られないとして、朝鮮の修行僧たちはひどく無学で迷信深く、 自ら信仰している宗教の歴史や教義についてほとんど何も知らなかったと記している。 大半の修行僧から私が受けた印象は、彼らは何の意味もなく宗教的な儀式や作業を行っており、何人かの例外を除いて、信仰を持っていないというものであった。

>朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。


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