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20世紀後半に西側諸国で見られた映画やメディアにおいて、年上女性が少年に対して性教育的な内容を提供する形で描かれることが多く、こうした作品が一定の社会的受け入れを得ていた。
ところが東西冷戦が終結した1990年代、共産党に洗脳されたナイーブで貧しい労働者階級が自由と豊かさを求めて人権抑圧と貧困の旧共産圏から西側諸国に大量に流入。
最下層の移民として雪崩れ込んだ旧共産圏の連中が西側諸国における自分達の政治的地位向上のために目をつけたスローガンが『男女平等』だった。
旧共産圏の特権階級は男尊女卑の傾向が強く、女性が旧共産圏の独裁者として君臨することは極めて稀だった。
しかし能力や効率性、生産性よりも形式的なノルマ達成が重視された旧共産圏の国有企業では、西側諸国よりも男女平等と女性の職場進出が進行していた。
自由で豊かな西側諸国では、旧共産圏のように工場労働者として男と肩を並べるよりも、エリートや大富豪の妻の地位に憧れる女性の方が圧倒的に多かった。
職場における『男女平等』は、能力や効率性よりも、過度に形式的なノルマ達成が重視された結果、非効率が放置された旧共産圏の発想である。
過度に形式的な男女平等を掲げる旧共産圏の連中が西側諸国における政治的地位向上のために真っ先に目の敵にしたのが、東西冷戦終結の立役者だったポーランド出身のヨハネ・パウロ2世のカトリック教会だった。
まずは生涯独身の男性しか神父に成れないことを批判し、次に独身の神父達が教会に礼拝に来る少年達に性的虐待を加えているというプロパガンダを流し始めた。
実質的な抗拒能力を有する男子(男児)については性犯罪は成り立たないという西側の常識を、『能力による差別ではなく形式な平等こそ重要』という旧共産圏の非効率な価値観によって破壊して行ったのである。
エリートや大富豪の妻の地位に憧れていた西側の女性達の価値観を否定して、旧共産圏のように工場労働者として男と肩を並べることこそ最も尊いのだと、旧共産圏に蔓延していた非効率で過度に形式的な平等主義を広めて行った。
旧共産圏から雪崩れ込んで来たナイーブで貧しい移民供は、実質的な抗拒能力の男女差を無視して、性犯罪の分野においても過度に形式的な男女平等を喧伝した。
西側諸国の女性達はエリートや大富豪の妻の地位に憧れるよりも、例え非効率であったとしても過度に形式的な男女平等を振り翳し、旧共産圏のように工場労働者として男と肩を並べる生き方を尊ぶべきなのか?