5つ星のうち1.0 翻訳文の再検討が必要
2017年12月26日
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他の方々のレヴューと同じく、ペレルマンの伝記として、この本を面白く読んだ。
一方、今までに私が読んだこの訳者による他の翻訳書とはやや異なり、ごく僅かだが、論理的におかしな、
つまり、誤訳と思える箇所があるようだ(ただし、それは本書の価値を決して減ずるものではない)。
英語の原文を見ることができないので、私の誤読かもしれないが、例えば、
「ペレルマンは試験を受けたがらなかった。なぜなら、......彼の目には公正なものに見えたからである。
それに加えて、........彼はけっして認めようとしなかったからだ。」(P.80)
ここは「公正なものに見えなかったからである。」であろう。
「ペレルマンがそれに気づかずにいるためには、入ってくる情報を自分で大幅に編集しなければ
ならなかっただけでなく、母親と....の協力が必要だった」(P.80)
ここでの「自分」とはペレルマン自身のことと読み取れるが、そうであれば、論理的に不可。
あるいは、この「自分」とは3行前の”ユダヤ人夫婦”のことか。
「博士号をとる前にポストドクトラル・フェローとして数年ほどアメリカに....」(P.87)は不可。
ポスドクであるから「博士号をとった後に」であろう。
現に(1990年に博士号取得後に、P.159)、「1993年の秋、ペレルマンはポストドクトラル・フェロー
としてクーラント研究所にやってきた。」(P.164)とある。
「とても才能のある子が一人いましてね、その子の担任が泣きそうになって私のところへ来るんです。
それで私がその子に、どうしたのと尋ねたら、その子はこう言いましたよ。」(P.87)
これも論理が不可。来たのは担任の先生であり、その子ではないはずだ。
「自分よりずっと良い教育を受けることになるのがわかっていても、それによって自己を
揺るがされたりしない。」(P.89)
この「自己を揺るがされたりしない。」とは「自分の自信はなくならない」ということだろうか。
本書は、細かいところであるが、翻訳文の再検討が必要である。