意外と知られてないようだけど、俺らは無心になったほうが
なんでも上手くいくんだよ。
版画の天才、棟方志功は、自分がやってるんじゃない、自然に手が動くんだ、
みたいなことを言ってる。
究極のファインプレーというのも無心の中から出てくる。
野球でも気が付いたらボールとってたとか、柔道でも気が付いたら相手を投げてたとか、
真の三昧に入った状態…、究極の無心の状態では、記憶が残らないことが多い。
元々世界は100%完全に回ってるんだけど、自己というものがあると、
これを発現するのを妨害してしまう。
だから仏教などでは己を無くせということが盛んに言われてきたんだよ。
人間の本質は宇宙とつながってて、宇宙と一体となってる。
そこに我があると、それを分断してしまう。
そうするとそこから宇宙の本質が流れてこなくなるわけ。
もし宇宙の本質が流れてくるとどうなるかっていうと、いつも幸福感に満ちて、
悩みも恐怖も無くなる。何事も上手くいくということになる。
肉体を持っている以上、死や病気は免れないけど、宇宙の本質に意識がシフトしていれば、
それらをつつがなく超えることが出来るわけ。
まったく影響を受けない。
宇宙の本質にシフトしてるわけだから、永遠の至福を得たということにもなる。
無限の命になるわけだ。
これを仏教は目指してるんだよ。
老子は自然法爾という言葉を使っているが、これも宇宙の本質からの働きかけを
我で妨害しなければ、すべてが上手くいくってことなんだよね。