【相場の細道】植田日銀総裁が鳴らす「円キャリートレード」閉幕のベル
「パーティーが盛り上がり始めたら、参加者から不満が出てもパンチボウル(酒が入ったボウル)をさっさと片付けるのがFRBの仕事だ」(マーティン第9代FRB議長)
黒田第31代日銀総裁が主導していた「異次元の量的金融緩和政策」による「円・キャリートレード」は、円の流動性の大量供給により、世界の資産市場を押し上げてきた。
国際決済銀行(BIS)のデータによると、2021年末以降、国境を越えた円の借り入れは7420億ドル増加しており、市場筋の推計では、約5000億ドルが円・キャリートレードという運用されていたらしい。すなわち、ほぼゼロ金利で円を借りて、日本株、欧米株などに投資する円・キャリートレードというパーティーが闌(たけなわ)となり、2024年7月にはNYダウは41221.98ドル、日経平均株価は42426.77円の史上最高値を記録した。
しかし、2024年7月31日、植田第32代日銀総裁はパーティー終了のベルを鳴らした。
日本銀行は、ゼロ金利を導入した以降の25年間で2回利上げしたが、その後の世界的な景気後退により、時期尚早の利上げとの批判を浴びており、トラウマとなっている。
2000年8月の利上げ(ゼロ⇒0.25%)の後は、米国発のITバブルが崩壊した。
2006年7月の利上げ(ゼロ⇒0.25%⇒0.50%)の後は、米国発の住宅バブルが崩壊した。
2024年3月、植田日銀総裁は3回目の利上げ(▲0.10%+0.10%=0-0.10%)を決定し、7月30-31日の日銀金融政策決定会合では、政策金利を0.25%まで引き上げ、中立金利1%に向けた追加利上げを示唆したことで、バブル崩壊の足音が聞こえ始めている。
1.2000年8月11日:速水第28代日銀総裁(反対2名の利上げ):ITバブル崩壊
2000年8月11日の日銀金融政策決定会合で、速水第28代日銀総裁は、政府の議決延期請求を否決して、無担保コール翌日物金利を、ゼロ金利から0.25%へ引き上げた。
速水第28代日銀総裁は「成長率が著しく高まることは期待しがたいと思うが、少なくとも日本経済はデフレ懸念の払拭が展望できる情勢に至ったと判断する」と述べた。
しかし、2001年にITバブルが崩壊したことで、2001年2月にゼロ金利に回帰し、3月には量的金融緩和政策に踏み切った。
植田日銀審議委員は、「まだ大きな水準の需給ギャップが存在している可能性がある」と述べて反対していた。
2.2006年7月14日:福井第29代日銀総裁(全員一致の利上げ):住宅バブル崩壊
2006年7月14日の日銀金融政策決定会合で、福井第29代日銀総裁は、無担保コール翌日物金利を、ゼロ金利から0.25%へ引き上げ、翌年2月には0.50%へ引き上げた。
しかし、2007年にサブプライム危機により、利下げを余儀なくされた。
福井総裁は「超低金利が長く続くリスクということをやはり念頭に置きながら、今後しっかり物を考えていく必要がある」と述べていた。
3.2024年植田第32代日銀総裁
2024年3月19日の日銀金融政策決定会合で、植田第32代日銀総裁は、2024年春闘での賃上げの状況を受けて、マイナス金利を解除し、イールドカーブ・コントロール(YCC、長短金利操作)を撤廃した。そして、「基調的物価上昇率がもう少し上昇すれば短期金利の水準の引き上げにつながる」と述べ、将来の追加利上げの可能性を示唆した。また、「為替相場が経済物価見通しに影響を与えるのであれば、金融政策での対処を検討する」と述べ、円安による輸入物価の上昇「第1の力」への警戒感を示した。
7月31日の日銀金融政策決定会合では、政策金