【相場の細道】植田日銀総裁:前門の狼(茂木幹事長)、後門の虎(トラウマ)
「先行き、基調的な物価上昇率が見通しに沿って2%に向けて上昇していけば、政策金利を引き上げ、金融緩和度合いを調整していくことになると考えている」(植田日銀総裁)
日本銀行は、ゼロ金利を導入した以降の25年間で2回利上げしたが、その後の世界的な景気後退により、時期尚早の利上げとの批判を浴びており、トラウマとなっている。
2008年8月の利上げの時は、植田日銀総裁は日銀審議委員として反対していた。
2024年3月、植田日銀総裁は3回目の利上げ(+0.10%=0-0.10%)を決定し、7月30-31日の日銀金融政策決定会合では、茂木自民党幹事長から追加利上げを迫られている。
1.2000年8月11日:速水第28代日銀総裁(反対2名の利上げ)
2008年8月11日の日銀金融政策決定会合で、速水第28代日銀総裁は、政府の議決延期請求を否決して、無担保コールレート(オーバーナイト物)を、ゼロ金利から0.25%へ引き上げた。
速水第28代日銀総裁は「成長率が著しく高まることは期待しがたいと思うが、少なくとも日本経済はデフレ懸念の払拭が展望できる情勢に至ったと判断する」「政策判断としてどれでいくか決定するのは、日銀法第3条で認められた我々の自主性である」と述べた。
しかし、2001年にITバブルが崩壊したことで、2001年2月にゼロ金利に回帰し、3月には量的金融緩和政策に踏み切った。
植田日銀審議委員は、「まだ大きな水準の需給ギャップが存在している可能性がある」と述べて反対していた。
2.2006年7月14日:福井第29代日銀総裁(全員一致の利上げ)
2006年7月14日の日銀金融政策決定会合で、福井第29代日銀総裁は、無担保コールレートを、ゼロ金利から0.25%へ引き上げ、翌年2月には0.50%へ引き上げた。
しかし、2007年にサブプライム危機により、利下げを余儀なくされた。
福井総裁は「超低金利が長く続くリスクということをやはり念頭に置きながら、今後しっかり物を考えていく必要がある」と述べていた。
3.2024年3月19日:植田第32代日銀総裁
2024年3月19日の日銀金融政策決定会合で、植田第32代日銀総裁は、2024年春闘での賃上げの状況を受けて、マイナス金利を解除し、イールドカーブ・コントロール(YCC、長短金利操作)を撤廃した。そして、植田日銀総裁は、マイナス金利解除後の新たな短期金利の調整方針の呼び方を問われたのに対して、「特にそれを『ゼロ金利政策』と呼ぼうとは考えていない」と答えた。さらに、「基調的物価上昇率がもう少し上昇すれば短期金利の水準の引き上げにつながる」と述べ、将来の追加利上げの可能性を示唆した。
また、「為替相場が経済物価見通しに影響を与えるのであれば、金融政策での対処を検討する」と述べ、円安による輸入物価の上昇「第1の力」への警戒感を示した。
4. 茂木自民党幹事長
7月22日、茂木幹事長は、日銀について「段階的な利上げの検討も含めて金融政策を正常化する方針をもっと明確に打ち出す必要がある」と語り、過度な円安の是正へ分かりやすい情報発信を求めた。さらに、「日本経済再生で強くて安定した円を作ることが必要」と述べたことで、ドル円は7月25日には151.94円まで下落した。