例えば、もともと予言ができるとされていた俺は、その記憶自体が無く、しかも軽い前言撤回で容易に予言内容が変わるため、予言に健忘は必須と分かる
ゆえにあの時、「全て忘れる」と言ったのも、それを知らなくても予想できること
ならば、健忘しているていでいればいい
それが無く、健忘しているのに頭が悪いと
もしくは、健忘自体、頭が悪いと
理解がなく酷い方々か、その酷くされる俺か
どちらがかわいそうか
どちらに優しくすべきか
どちらが悪か
悪ならば頭も悪くないか
俺は頭がいいのではないか
少なくとも比べるに
世の中は暫定的に成り立っているので、比較で問題ない
俺を健忘で頭が悪いなどと言うことはできないのではないか
予言に健忘はつきものなので
予言内容を知っていても、その中で早死にすることが分かった方もいる
知っているだけではこの通り意味が無いのではないか
それこそ、量の範疇ではないか
予言内容を知っていても頭がいいなどとは言えないのではないか
予言内容を知らなくても頭がいいこともあるのではないか
量と質の再定義が必要と俺は考える