みんなで考えよう!
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Wikipedia:空が青いということに出典は要る
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E7%A9%BA%E3%81%8C%E9%9D%92%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AB%E5%87%BA%E5%85%B8%E3%81%AF%E8%A6%81%E3%82%8B
参考文献は引用文献に限れ、などという馬鹿な意見。
そもそも論として、どこまで出典が必要なの?
>>4
このページには書いていない
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%87%BA%E5%85%B8%E3%82%92%E6%98%8E%E8%A8%98%E3%81%99%E3%82%8B
Wikipedia:出典を明記する
出典が必要なのは当然として、{{要出典}}などをやたらにはりつけることがむしろ問題。
出典、出典とうるさく言うのは、たいてい言い訳で、本音はいやがらせだよ
男女の区別すら文献が必要
ウィキペディアはそういうやつだ
Wikipedia:信頼できる情報源
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BA%90
ほかの編集者に対して情報源を示すように求めるのは常に適切です。証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり、情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます。しかし、情報源を探す機会を与えずに本文の記述を除去すると、抗議する編集者もいます。特に、本文の記述が不適切または、不条理、有害なことが明らかではなかった場合です。そうした記述はすぐに除去するのではなく、ノートページに転記するか、{{要出典}} テンプレートを問題となっている単語や文のあとに付けるか、ページの先頭に{{未検証}} や{{出典の明記}} を追加することで記事をタグ付けすることが推奨されます。方針を示したWikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せないや、Wikipedia:言葉を濁さないをご覧ください。
しかし、あなたが真実であり常識であると信じている記述を、情報源がないという理由だけで除去しないでください。例えば、記述者が惑星の軌道は楕円になるという裏付けをしていないという理由だけで、「地球の楕円軌道」への言及を除去しないでください。
あなたが本当にその記述を信じられないならば、それを除去して、ノートページで情報源を要求してください。あなたが常識ではないと本当に考えているならば、情報源を要求するようにタグ付けするか、ノートページで問い合わせてください。そして特に、人物、特に存命中の人物に関する「常識」の主張には懐疑的に接してください。噂は、常識ではありません。
>あなたが本当にその記述を信じられないならば、それを除去して、ノートページで情報源を要求してください。
ここがトラブルのもとだね。
まずは、ノートに書き、テンプレを貼り、執筆した利用者に問い合わせ、期間を置いて反応がなけれは、そこではじめて除去、とすべきだよな。
むしろこちらが問題
1つの記事について1万回要求しても「常に適切です」
>ほかの編集者に対して情報源を示すように求めるのは常に適切です。
>>4
必要だと考える奴が必要だと主張する範囲
反論は許されない
一次資料は、ある事象について、それに密接したところにある独自の資料であり、多くの場合はそれに直接参加した人によって作成されます。その人たちは、事件、歴史の一時期、芸術作品、政策決定、などについて内部からの観点を提供します。一次資料は、独立した情報源や第三者情報である場合も、そうでない場合もあります。交通事故の目撃者による話は、その事故についての一次資料です。同じように、著者によって行われた新規な実験を記した科学論文は、その実験結果についての一次資料です。日記などの歴史的文書も一次資料です。
方針:他の方針によって制限されるのでない限り、信頼できる公表ずみの一次資料はウィキペディアでの使用が許されます。しかし、誤った使い方がされやすいので、取り扱いは注意深くする必要があります。一次資料に記載されている情報の解釈には、信頼できる二次資料が必要です。ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみであり、特殊な知識を持たない、普通の教育を受けた人が、その資料を参照して検証できる場合に限られます。たとえば、ある小説についてあらすじを記述する場合、その小説の文章を出典とすることは可能ですが、それについての解釈には二次資料が必要です。一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください。項目全体を一次資料に依拠してはいけません。一次資料のみに依拠した大きな段落を作る場合にも慎重になってください。あなたの個人的な経験に基づいた記述を記事に加えてはいけません。そうすることにより、ウィキペディアが一次資料となってしまうからです。存命人物について一次資料を使うときには、より慎重になってください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E7%8B%AC%E8%87%AA%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%AF%E8%BC%89%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%84#.E4.B8.80.E6.AC.A1.E8.B3.87.E6.96.99.E3.81.A8.E4.BA.8C.E6.AC.A1.E8.B3.87.E6.96.99
一次資料と二次資料
ウィキペディアの記事は、公表ずみの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて書かれていなければなりません。二次資料や三次資料は、項目の主題の特筆性を立証するため、および一次資料の新規な解釈を避けるために必要です。ただし、一次資料は注意深く使えば出典とすることができます。項目が一次資料だけを出典としている状態は避けねばなりません。解釈を含む主張や分析、総合的判断を含む主張は、いずれも二次資料を出典とすべきであり、それらの記述に際して一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりません。
どのような出典が適切であるか、個別の事例によっては決定が難しくなることもあります。以下に示すのは一般的な規則です。一次・二次・三次資料のどれが適切であるかは善意による客観的な判断と常識の問題です。各項目のノートで議論して決めてください。本方針の目的には、一次・二次・三次資料はそれぞれ次のように定義されます。
>>14
わかりにくいな。
結局、一次資料は使えるということだね。
>>3
ウィキでは、一般の意味とは違うんだよ。
>>16
その説明、ウィキペディアのどのページに書いてある?
wikipediaは、著作権侵害にならないよう
あちこちから文章をコピーして辞典を作り上げようというプロジェクトです。
>>6
要出典や{{参照方法}}とかを貼り付けることそのものは、極端でなければ別にいいんだけど、貼り付けた奴が、貼り付けたらそれでおしまいと、そのあとのメンテ(条件を満たしたら除去するとか)について無責任だから困る。
人物記事の場合、生きてるかどうかも出典が必要
昨日テレビの生で見たけどって、出典がなければダメ
>>18
コピーだけじゃもったいない。
謎の地味な盛り上がり
>>18
コピーというか、どこに何が書いてあるかを示すという、「データベース」そのものだよね。
独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすること[編集]
あなたが書いた記事に、「即時削除」、「削除依頼」、「中立的な観点」、「出典の明記」などに関するメンテナンス用テンプレートが貼られることがあります。それに驚き、また不愉快になってしまうことがあるかもしれませんが、大抵の場合、理由があってのことです。テンプレートが貼られた時は、無言でテンプレートをはがすのではなく、テンプレートを貼った人とノートページで話し合ってください。何も言わずにテンプレートをはがすと、他の人と話し合う意思がない、共同作業に向かない人だと見なされてしまいます。ウィキペディアはプロジェクトの性格上、他の利用者との協調をとても重視します。協調できない方は、残念ながら、プロジェクトの進行を阻害するとして、ウィキペディアへの参加を拒まれることがあります。といっても、別に難しいことは何もありません。他の利用者と友好的に話しあい、信頼関係を築くように心がけていれば、何の問題もありません。同じ理由で、他の利用者が投稿したメッセージは、自分の気に入らないものでも黙って消去したり、内容を変えてはいけません。ただし明らかな「個人攻撃」や「荒らし」は別です(Wikipedia:個人攻撃の除去、Wikipedia:荒らし対策を参照)。
>>24
「無言でテンプレートを貼り付ける」のは認められているというのが、おかしい。
テンプレートを貼りたい記事の執筆者とノートページで話し合ってください。何も言わずにテンプレートを貼り付けると、他の人と話し合う意思がない、共同作業に向かない人だと見なされてしまいます。
ウィキペディアはプロジェクトの性格上、他の利用者との協調をとても重視します。協調できない方は、残念ながら、プロジェクトの進行を阻害するとして、ウィキペディアへの参加を拒まれることがあります。
正しいんだけどな。認められていない。
1 出典の示し方
1.1 本文中に注釈を挿入する
1.2 個別参照法
1.3 記事末尾に参考文献を記載する
2 記載すべき情報
2.1 書誌情報の書き方(和書)
2.1.1 項目の並び順
2.1.2 項目間の区切り
2.1.3 著者名
2.1.4 書名
2.1.5 発行所名
2.1.6 刊行年月日
2.2 書誌情報の実例(和書)
2.2.1 著者が一人の例
2.2.2 共著の例
2.2.3 編著の例
2.2.4 翻訳書の例
2.2.5 雑誌論文の例
2.2.6 書籍中の論文の例
2.2.7 ウェブサイトの例
2.3 書誌情報の書き方(外国語文献)
2.3.1 著者名
2.3.2 書名
2.3.3 刊行地・発行所
2.3.4 刊行年
2.3.5 頁数
2.4 書誌情報の実例(外国語文献)
2.4.1 単行本の例
2.4.2 論文の例
2.5 書誌情報の書き方(新聞)
3 入手方法を示す
4 引用について
5 ウェブサイトを出典とする場合
5.1 名無しリンクを避ける
5.2 代替配信サイトへのリンク
5.3 リンク切れの回避と修復
6 本文中での出典言及
7 出典なき記載の扱い
8 三大方針との兼ね合い
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
11.1 出典に関するテンプレート
>>16
参考文献(さんこうぶんけん、英: bibliography, works cited)は、著述の際に参考にした図書や文献、新聞記事、または、その書誌事項を記したもの。また出典とは、故事、引用語等の出所(でどころ)、ないしそれと考えられる本などのこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E8%80%83%E6%96%87%E7%8C%AE
この2つは違うもの
>>23
文献にすでに載ってることを並べるだけしか許されない、という意味では、データベースといってもいいな
147 :わたしはダリ?名無しさん?:2007/09/29(土) 11:08:29
>>145
そんな馬鹿なことはないだろ。
信頼のおける文献だけしか参照してはいけないんだよ。
148 :わたしはダリ?名無しさん?:2007/09/29(土) 11:10:17
「信頼」がおけるかどうかは、誰がどう「判断」「評価」するわけ?
参照する文献を選ぶときに、「評価」が必然的に入るだろ?
wikipediaは「評価してはいけない」んじゃなかったのか?
149 :わたしはダリ?名無しさん?:2007/09/29(土) 11:11:15
>>148
「評価を書いてはいけない」であって
「書く前の評価をしてはいけない」ではない
>>29
いいかげんな結論で、あきれる~
嘘を書く奴もいるだろうから信頼できるはずがない。
>>31
嘘が書かれたしても、別の利用者が訂正してくるから、大丈夫
>>32
ずいぶん楽観的なヤツww
出典のせいでひどくなってる分野は音楽関係だな
ほめることもけなすこともできない
どんなタイプの音楽なのかも書けない
結局、単なる「CDリスト」になり下がっている
>>34
客観的なデータだけを掲載するという方向。
そのせいで、データだらけになっている
>>36
何もないよりはまし。
出典厨にぐちゃぐちゃ言われるよりはまし
出典が必要とか言っても徹底してないよな
気づいたところだけちょこちょこしておしまいとかね
>>38
反論しにくいから、個人攻撃に使うとかもあるよ。
性別や生年月日も出典がいるのに、出典はたいていは放置状態
「要出典」をはったりするとひどい目にあうだろうけど
筋からいえば、ディスコグラフィーも当然出典いるはずだ
出典出典とうるさいくせに徹底していないのは恥ずかしいこと
>>41
それは、猛反発を食らうだろうから、さすがに手を出さないだろう。
おそらく、そんなことをした利用者は追い出される。
>>38
{{出典の明記}}
(この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。)
も恣意的に貼っている。
出典が全く挙がっていないのに貼っていない記事があるかと思うと、結構挙がっているのに貼ってある記事もある。
適当過ぎるが、それを理由にはがすこともできないwwww
ウィキペディアは名鑑ではありません
ウィキペディアは現存する、または過去に存在したあらゆる事象のカタログ・名鑑・人名録ではありません[9]。
9 ^ この条項は、ウィキペディア内の情報を整理したり、特筆すべき主題を記述するために作成されている、ウィキペディア内の記事へのリンク一覧は対象としていません
[[Wikipedia:一覧記事]]
掲載の基準[編集]
役に立つか?[編集]
その一覧を何のために作成するか、どのような記事からリンクされるか、どんな人がその一覧を見たいと思うかを考えてみて下さい。一覧にはいろいろな使い方があります。参考までに、いくつか例を挙げてみます。
「国の一覧」は、いろいろな国の記事を読み、複数の国を比べる時に便利そうです。
「物理学用語一覧」は、物理学関連の記事を書く人が、どのような話題の記事が既にあるか、どういう重要な物事がまだ記事になっていないかなどを確認する際にとても便利そうです。
「ノーベル賞受賞者の一覧」は、恐らく多くの人がよく知らない、あるいは正確に思い出せないけれども、手軽に手に入るなら一応見てみたい、というような情報を提供するので、多くの人の好奇心に応えることになりそうです。
「ゲームのタイトル一覧」は、恐らく、興味がある人にとっても全部は思い出しきれない情報を提供し、記事を探す手間を軽減しそうです。
他国語版の記事をコピーし、見出しを日本語にしても、個別項目の内容の大半が未作成で赤字リンクあるいは他国語版記事へのリンクで埋められた一覧記事は日本語版記事としては有用ではありません。対象となる日本語版個別記事の充実を図り、過半以上の項目が充足されライブリンクとなった状態で一覧記事の作成を検討してください。翻訳のガイドラインも参照してください。
掲載の基準はわかりやすいか?[編集]
掲載の基準からつけられる記事名を考える際には、その記事名を見て、他の人が内容を想像できるかどうかを考えてください。何が含まれ、何が含まれない一覧か、その基準は明確でしょうか。曖昧な基準で一覧を作成すると、他の人は、その一覧に何を加えてよいか、何を加えない方がいいか、迷うことになります。
例えば「有名人の一覧」という記事を作成したとします。すると、テレビをよく見ている日本人にとっての有名人、世界的に知られている人、歴史上の著名人など様々な種類の有名人が考えられます。伝説上の人物や実在したかどうかがはっきりしない人物、あるいはフィクションに登場する人物はどうでしょうか。例えば切り裂きジャックや孫悟空は「有名人の一覧」に含まれるべきでしょうか。
そのように考えてみると、「有名人の一覧」よりも「世界史上の著名人一覧」や「現代日本の芸能人一覧」のような記事の方が遥かに多くの人にとってわかりやすいことがわかると思います。
価値観の衝突を招かないか?[編集]
リストする物事がごく限られている場合でなければ、人によって何を一覧に含め、何を含めないか、好みや価値観が衝突することもあります。「偉大な宗教家の一覧」などといったものは、明らかに避けた方がいいでしょう。「主要な○○○の一覧」や「著名な○○○の一覧」の類も、何か明確な基準を設けることができないか、他の記事名をつけられないか、考えてみて下さい。
記事は長くなり過ぎないか?[編集]
明確に定義された一覧でも、リストするものがたくさんありすぎて問題が発生する場合があります。例えば「人名一覧」を作成したとすると、古今東西、実在上、伝説上、ありとあらゆる人名がリストされることになるかも知れません。これは基準としては明確ですが、記事の長さが長くなり過ぎます。
これに対処するための、工夫の仕方がいくつかあります。
ひとつは、複数の記事を作成し、互いに連携させることです。例えば「人名一覧」では50音別に、ひとつずつ記事を設け、「人名一覧 あ」などとすれば、「あ」から始まる人名だけがリストされること
記事は長くなり過ぎないか?[編集]
明確に定義された一覧でも、リストするものがたくさんありすぎて問題が発生する場合があります。例えば「人名一覧」を作成したとすると、古今東西、実在上、伝説上、ありとあらゆる人名がリストされることになるかも知れません。これは基準としては明確ですが、記事の長さが長くなり過ぎます。
これに対処するための、工夫の仕方がいくつかあります。
ひとつは、複数の記事を作成し、互いに連携させることです。例えば「人名一覧」では50音別に、ひとつずつ記事を設け、「人名一覧 あ」などとすれば、「あ」から始まる人名だけがリストされることになります。
もうひとつは、リストする内容を既に記事が書かれているか、近い内に書かれる予定のもののみに限定することです。例えば「曲名一覧」ではジャンル、時代、地域を問わずあらゆる曲をリストすることになっていますが、既に記事が書かれているか、記事が書かれる予定のものだけに限ってあります。そのため、誰かが本腰を入れると数日の間に数千曲のリストに膨れ上がるといった心配はありません。
曲についての記事が増え、一覧がある程度長くなったら、ジャンルなどを基準に記事を分ければよいので、後の対処も比較的簡単です。
一番手に負えないのは、出典が怪しい部分は削除したらそれでおしまい、おれはいいことをした、と考えてる利用者だな。
記事や他の利用者を大切にするという考えが欠けている。
現実の生活でも障害が生じてるんじゃないかと懸念するね。
出典の観点から記事をよくするためには、1件1件丁寧に対応を考えて進めていかねばならない。
何も考えずに単に要出典部分・独自研究と疑われる部分を削除する、というのは、その正反対で、記事を貧弱にするだけ。
「要出典タグ」を貼りつける方が、まだまし。
理想的には、個々の記事の執筆者と対話し、文献を調査し、出典を追加していく。
どうしても出典が見つからないようであれば、執筆者と合意のうえ、その部分をノートに移動する。
しかし、それだけの手間と時間をかける熱心な執筆者は存在しない。
手間を惜しむ奴が、大量デリートで、自己満足に陥っている。
出典を探す「義務」はないだろうが、義務がなきゃしませんとは、何のためにwikipediaをしてるんだろうね?
最近の若者の傾向だろ
文句は言うけど、自分では何もしない
せいぜい一番簡単なことをやっておしまい、とか
タグ貼り付けとか一部削除するのは本当に簡単だね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%BF%E3%82%B0%E7%88%86%E6%92%83
Wikipedia:タグ爆撃
タグ爆撃は、1つの記事に多数のタグを加えるか、多数の記事に1つのタグを加えることです。記事にタグを加えるときには、その記事のノートで、何故そのタグをつけることが必要なのかを説明するしっかりとした論証が伴われるべきです。過剰なタグは記事の加筆者に負担を与え、指示や禁止の肥大化によるプロジェクトの緩慢化を容易に招きます。
タグ爆撃は、善意によってなされ、記事の明瞭化のために必要なのかもしれませんが、多くの場合タグ爆撃はある(偏った)観点を促進する手段として使用されます。
タグ爆撃は破壊的な編集の形態であり、管理者によって許容されないでしょう。タグ爆撃を行なう編集者は、ウィキペディアの編集からブロックされるでしょう[1]。
しかし、つけられたタグが自己説明的なものであるとき、タグ爆撃とは呼ばれません。つまり、わざわざノートページに同じ情報を書くまでもないと考えられるときです。例えば、{{unreferenced}} というタグは、次の意味を持ちます。「この記事には出典がありません。この記事の内容に関する文献や情報源を探しています。出典のない記事は変更されたり削除されたりすることもあります。」これは、この記事が出典がない、ということ以外の情報を持ちませんから、この場合はノートで何も議論する必要がありません。 それに対して、{{cleanup}}というタグは、「この記事はウィキペディアの品質基準を満たしていないおそれがあります。記事を整理してください。」 このタグはスタイルマニュアルに沿った編集をするように指示していますが、このとき、たくさんの望ましい編集の方法がありえます。ですが、これは{{cleanup}}タグを使うな、ということを意味するのではなく、その記事のどこがスタイルマニュアルに沿っていないのかをノートページで議論することで、こういったタグを正しく使うことができるということです。
もし、あなたが記事にタグをつけられるのならば、あなたはその記事を違った方法で、もっと有用かもしれない方法で、編集することができるということです。あなたは、ロケット科学についての記事を編集できるほどの科学の専門家ではないかもしれませんが、誤字を修正するくらいのことはできるでしょう? それに、今やMacOSXの辞書には、wikipediaの記事が表示されるのです。記事を見た人が最初に見るものが、画面一杯に表示されたタグだったとしたら、はたしてその人はwikipediaを有用だと思うでしょうか?
「タグ爆撃」だけじゃなくて「部分削除攻撃」とかも項目をつくって欲しい
利用者: M-sho-gun
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/M-sho-gun&target=M-sho-gun
削除ばかりする奴は困るな~
(最新 | 前) 2016年3月24日 (木) 16:01 Alexander Poskrebyshev (会話 | 投稿記録) . . (3,013バイト) (+1,015) . . (要出典をベタベタ貼るだけの編集は項目にとって何の貢献にもなりませんし、そんな編集しかしない利用者は何の役にも立たないし信用できないし不要な存在です) (取り消し)
その通りだと思う
例え1回でもそのようなことをした利用者は不要だ
2016年[編集]
Wikipedia:削除依頼/MEMS-IGZOディスプレイ△
Wikipedia:削除依頼/八木野太郎
Wikipedia:削除依頼/印可証明
Wikipedia:削除依頼/橘京果⇒削除
Wikipedia:削除依頼/地球の詩 版指定⇒版指定削除
Wikipedia:削除依頼/サンライズエージェンシー
Wikipedia:削除依頼/アイティサービスシステム20160814⇒削除
Wikipedia:削除依頼/佐藤啓 (政治家)⇒削除
Wikipedia:削除依頼/TESHIMA ATSUSHI20160812⇒削除
Wikipedia:削除依頼/村上寒雪⇒削除
Wikipedia:削除依頼/坂田拓實⇒削除
Wikipedia:削除依頼/丹保三郎⇒存続
Wikipedia:削除依頼/Fazan-37⇒削除
Wikipedia:削除依頼/クラフトリンク⇒削除
Wikipedia:削除依頼/ならず者 (曲)版指定
Wikipedia:削除依頼/永井結菜⇒削除
Wikipedia:削除依頼/村山泰司⇒削除
Wikipedia:削除依頼/おかん (グループ)⇒削除
Wikipedia:削除依頼/おつかれーず20160621⇒削除
Wikipedia:削除依頼/REPLIC∀⇒削除
Wikipedia:削除依頼/Hearts Maker⇒削除
Wikipedia:削除依頼/中村優 (1999年生)⇒削除
Wikipedia:削除依頼/DAI (渡辺大)⇒削除
Wikipedia:削除依頼/遠藤勇希⇒削除
Wikipedia:削除依頼/一戸康太朗⇒削除
Wikipedia:削除依頼/666CONNECTION⇒削除
Wikipedia:削除依頼/和泉谷晶子⇒削除
Wikipedia:削除依頼/KING (音楽ユニット)⇒存続
Wikipedia:削除依頼/KING (バンド) 20160513⇒削除
Wikipedia:削除依頼/クロノグラフ (シングル)版指定⇒版指定削除
Wikipedia:削除依頼/シンカク高橋⇒削除
Wikipedia:削除依頼/ポッキー (YouTuber)⇒削除
Wikipedia:削除依頼/岡本章 (俳優)⇒存続
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Wikipedia:削除依頼/柴田昌孝⇒削除
Wikipedia:削除依頼/RC4WD⇒削除
Wikipedia:削除依頼/臼杵寛⇒存続
Wikipedia:削除依頼/宮本裕大⇒存続
Wikipedia:削除依頼/オグラ財閥20160217⇒削除
Wikipedia:削除依頼/ロック ソリッド プレッシャー Rock Solid Pressure⇒削除
Wikipedia:削除依頼/黒川こまち⇒存続
Wikipedia:削除依頼/平尾耕太郎⇒削除
Wikipedia:削除依頼/原淳一郎⇒存続
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Wikipedia:削除依頼/大野俊三 (ジャズトランペッター)⇒削除
Wikipedia:削除依頼/福島立也⇒存続
Wikipedia:削除依頼/吉田克己 (公衆衛生学者)版指定⇒版指定削除
Wikipedia:削除依頼/椎名ひろの⇒削除
Wikipedia:削除依頼/日本海軍の未成潜水艦(波二百一型潜水艦) 33件⇒全存続
Wikipedia:削除依頼/日本海軍の実戦に参加していない潜水艦(波二百一型潜水艦) 9件⇒全存続
Wikipedia:削除依頼/日本海軍の未成潜水艦(波百一型潜水艦) 11件⇒全存続
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Wikipedia:削除依頼/ロングコートダディ⇒削除
Wikipedia:削除依頼/藍澤幸頼⇒削除
Wikipedia:削除依頼/安藤友香⇒削除(曖昧さ回避記事として)
Wikipedia:削除依頼/佐藤浩二 (アナウンサー)⇒削除
こんにちは。長いウィキブレイクから復帰早々、「出典の無い独自研究を除去」と要約欄に書いて、短時間のうちに大量に項目から記述を除去しておられましたので、落ち着いていただくために短期間のブロックをかけさせていただきました。「要出典」が貼られていたのは確かですが、それについてノートでなんの呼びかけもなく、いきなり機械的に除去して回るのは、火種を方々にまいて回っているのと同じです。どうぞ、ノートで呼びかけるプロセスを省略しないでください。--miya 2008年10月27日 (月) 04:46 (UTC)
>>51
爆撃ってよくわからない基準だな
一つなら良い行いなのに多数やると駄目なのか
具体的にいくつ付けたら駄目とかそういう基準が一切無いからな
ただの言いがかり