② 北畠顕家の行動の歴史的背景
◆北畠顕家(1318–1338)
八幡大菩薩を氏神とする清和源氏ではなく、村上源氏の流れを汲む北畠家の嫡男
後醍醐天皇によって奥州に派遣され、東北の蝦夷(えみし)の反乱を未然に防ぐため監視に当たる鎮守府のトップ、鎮守府将軍に任じられる。
『国司』ではなく、東北の蝦夷(えみし)を反乱分子として敵視する『鎮守府将軍』に任命されたことがポイント。
北畠親房・顕家は『藤原摂関政治を否定する建武の親政』を支えるも、『源(足利)尊氏の離反』により戦乱に突入。
『春日大明神を氏神とする藤原摂関家を排除』し、『八幡大菩薩を氏神とする清和源氏の源(足利)尊氏が離反』した大覚寺統の後醍醐天皇による『親政』。
一方、皇祖神である『天照皇大神』を戴く光明天皇(在位:1336年~1348年)の持明院統には『春日大明神』を氏神とする藤原摂関家と、『八幡大菩薩』を氏神とする清和源氏の源(足利)尊氏が仕える。
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東北の蝦夷(えみし)の反乱を鎮める本来の職務を放棄し、逆に蝦夷(えみし)を率いて『天照皇大神』を皇祖神と戴く光明天皇、『春日大明神』を氏神と戴く藤原摂関家、『八幡大菩薩』を氏神と戴く源(足利)尊氏に公然と反抗した北畠顕家。
当然のことながら北畠顕家は劣勢の中で討死(奈良・般若坂、堺・石津)。
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評価:伝統秩序(皇室・藤原・清和源氏)への反逆の意義。
・皇祖神:天照皇大神
・藤原摂関家の氏神:春日大明神
・清和源氏の氏神:八幡大菩薩
すなわち
・藤原氏追放 → 北畠親房・顕家が直接的に「藤原を追放」したというより、摂関政治を否定した後醍醐天皇の親政に加勢して『春日大明神』を氏神とする藤原摂関家に弓を引いた。
・源(足利)尊氏(=清和源氏の正統)に抗った点で、『八幡大菩薩』を氏神として戴く清和源氏への「村上源氏 + 東北の蝦夷(えみし)の連合軍」による反乱と見なせる。
・『天照皇大神』を戴く天皇への忠誠は本物か → 村上源氏の北畠顕家が本来、反乱を予防すべきだった筈の東北の蝦夷(えみし)を率いて逆に『天照皇大神』を戴く持明院統の光明天皇に「弓を引き」、光明天皇に仕える『春日大明神』を氏神とする藤原摂関家、『八幡大菩薩』を氏神とする清和源氏(源<足利>尊氏)に対して反乱を企てた。
→ よって、伝統秩序において「天皇・清和源氏・藤原氏」がバランスよく敬われる博徒系ヤクザの世界観から見ると、北畠顕家は明らかに「破壊者・逆賊・反乱分子」という側面を持つと解釈可能です。
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