「正直…飲んだよ」 基準値7倍のアルコールを検出 #549

549番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2023/12/08(金) 15:28:43.98 ID:???

一方で、浄土真宗の祖である親鸞は、63歳の折、高野山に上った。現存する宿坊・西禅院に滞在し、念仏を修めた上で、自作の自像を奉納した。高野山には法然・親鸞の供養塔があり、「多くの参拝者を集めてきた」とされる。当時はまだ、覚鑁を信奉する、新義サイドの僧侶が高野山にも残っていた。覚鑁が、顕教の浄土教に接近したことの影響を見て取ることもできる。ただし、高野山が顕教の浄土教と接近する必要があったのか、という論点は残る。

龍樹以来の浄土教には、「念仏によって悟りも開ける」という思想が含まれていた。
しかし、天台宗から分派した、法然・親鸞の日本浄土教は、庶民に布教するにあたって、「南無阿弥陀仏と唱えて来世は西方浄土」と他力を強調する。自力要素は捨象してしまった。
覚鑁の密厳浄土思想は、自力の浄土教思想を現在に伝えている点で、文化財的な意義はある。「僧侶はビジネスマンである前に学者であるべき」だと考えるなら、覚鑁の哲学は評価され得る。

この点、空海は、「後代経典ほど優れている」と考えたようで、経典を時代順に配列している。もちろん、当時は、大乗仏典の成立年代は知られていない。経典の内容から判断したものと思われる。
真言宗の実質的な導入経典は、空海が重視した、有名な般若心経である。空海には、「般若心経秘鍵」という著作がある。真言宗では、密教経典に加えて、初期大乗の般若経を用いる。空海は、華厳宗の本山である東大寺の別当職にも任官した。空海が著した「十住心論」では、「顕教における最高の境地である9段階目は、中期大乗の華厳経に説かれている」とされる。天台宗が重視する、初期大乗の法華経は、より後代に成立した、華厳経の下位に置かれる。もちろん、真言宗においては、「最高の境地である10段階目は、後期大乗の密教経典に説かれている」と考える。

覚鑁の密厳浄土思想は、初中期経典の浄土教を、単なる教学としてではなく、実践面においても用いる点で、古義サイドの僧侶から問題視され得る要素はある。「覚鑁の思想は、『新義』と称されるが、密教より前代の経典に先祖返りしているではないか」という批判である。
そうは言っても、真言宗の寺院が、「浄土教>密教」と考えることで、「経典の時代順配列を逆にして、空海の作った教相判釈から外れる」ということは、机上の空論レベルの可能性に過ぎない。それを論ずることには意味がない、という見解すら成立し得るのではないか。浄土教を排斥しようとしてカルト化した日蓮の例もある。
いずれにせよ、古代インド・中国の文献さえあれば、自力の浄土教は再現できるので、「敢えて真言宗がそれをする必要があったのか」という論点は残る。

このスレッドを全て表示


このスレッドは過去ログです。