「正直…飲んだよ」 基準値7倍のアルコールを検出 #546

546番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2023/12/08(金) 15:24:56.53 ID:???

Ⅰ.新義真言宗(智山派・豊山派)の祖である、覚鑁の事績について。

[覚鑁の事績①]平安時代後期、高野山の僧侶であった覚鑁は、「東寺座主が金剛峰寺座主を兼ねる」という慣例を廃止し、高野山を独立させようと試みた。
東寺と高野山、双方ともに、真言宗の根本道場ではあるが、田舎の高野山は寂れていた時期があった。藤原道長が高野山を復興させ、皇族・貴族が財政面で支援していた。覚鑁は、自らも所属する高野山が、再び寂れないようにするため、東寺からの独立を画策した面があったのではないか。
「都市部の東寺だけでなく、田舎の高野山も長期にわたって存続させる」意図だったと思われる。「覚鑁が高野山の僧侶だから、そう言っているだけ」という批判的な見方も、成立はし得るのかもしれない。
しかし、その後、東寺と高野山は実際に真言宗内の別宗派となっており、田舎の高野山が経済力とマンパワーを有する。この現在の形態には、一定の意義があるのではないか。
一方で、当然ながら、覚鑁の手法は東寺側の反発を招いた。例えば、「東寺を懐柔して、高野山の権限拡大をお願いする」だとか、あるいは、後の曹洞宗・瑩山のように、「葬式仏教を発明して、お布施で宗派を発展させる」などの、もっと穏当な手法も取り得たのではないか。

[覚鑁の事績②]覚鑁は、弘法大師由来の修法として、阿字観(禅)を導入した。現在、古義・新義を問わず、「阿字観という名の座禅を民間の信者に修めさせる」真言宗の寺院が少なくない。宗派のすそ野を広げている。
一方で、特に阿字観である必要はなく、ヨガなどでもいいはずである。実際に、寺ヨガを行なっている真言宗の寺院も存在する。覚鑁の墓がある、根来寺とのお付き合いで、真言宗各派の寺院が阿字観を用いている面もあるのかもしれない。とはいえ、「座禅のような瞑想行には需要がある」という覚鑁の着眼は、評価されるべきものではないか。

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