「正直…飲んだよ」 基準値7倍のアルコールを検出 #504

504番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2023/12/08(金) 10:32:07.17 ID:???

[覚鑁の問題②]覚鑁は、真言宗に浄土教を取り入れ、密厳浄土思想を含む新義教学の基礎を築いた。覚鑁が根来に移り住んだ後の著作である「五輪九字明秘密釈」に、その中身が記されている。
古義教学の身口意・三密成仏に対し、覚鑁は、「念仏による口密の一密で成仏できる」とした。「大日如来は阿弥陀如来と異名同体の尊格であり、『南無阿弥陀仏』と唱えれば即身成仏できる」とする。
法然・親鸞の台頭以前に、浄土思想への対応を考えた着眼は鋭い。覚鑁は、念仏や座禅といった、易行である一行を強調する、鎌倉仏教の先駆者とも言われる。

とはいえ、覚鑁は古義教学の本山である高野山の僧侶であったのだから、宗祖・空海の教学を換骨奪胎すれば、反発を招くことは当然に予想される。覚鑁の遷化後、行動を共にしていた新義サイドの弟子たちは、高野山に戻った。しかし、対立は止まなかった。鎌倉時代の後半に入ると、新義サイドの頼瑜が、大伝法院を高野山から根来に移した。新義と古義の分裂である。

そうではなく、例えば、爪や髪を生前のうちに供養する。「○○家代々」の永代供養を庶民に広める。古義教学の範囲内でも、浄土教と類似のことは実施可能である。それによって、庶民のニーズを満たし、お布施で宗派を発展させることもできたのではないか。
曹洞宗の瑩山が葬式仏教を導入したところ、庶民の好評を得て、宗派の寺院数が非常に多くなった。「瑩山のような、他宗のもっと上手なビジネスマンには、覚鑁はなれなかった」という評価もできる。

「五輪塔は覚鑁以前から存在した」とされるが、覚鑁の著した五輪九字明秘密釈は、「五輪塔の普及に貢献した」と言われる。また、日蓮は、五輪九字明秘密釈を書写していたことで知られる。「日蓮は、覚鑁が考案した理論を取り入れている」という見方は成立し得る。

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