お洒落な服に関しては、俺は凄く自由ではないかと考える
お洒落にしてもいいし、しなくてもいい
ただただ、個人の自由
無論、運命の関係のそれもあるが、別に以後、もっと上になればいいだけのこと
運命の人と今、楽しめないのならば、いっそ今を楽しむのでいいのでは
だから個人の自由
どちらでもいいということ
俺は少しは楽しむほう
後で超越する
しきるでもいい
極めて完全に
これでいいことでは
内面が大事というのは分かる
ならば、その内面を磨いて、自由とするのはどうかと、どちらもいいとしてはどうかと俺は考える
お洒落はせず、内面を磨く
この一見聞こえのいい文句は、実はお洒落していない自分のほうが内面が上と誇示する意味の分からなさの表れではないかということ
俺は
俺はするが、しなくてもいい
これ
超越するなんて言っても今しなければもっと上じゃんと
こんなことを言われそうだが、確かにそうとも考えられるが、今があるからこそ伸びるとも考えられるのでは
この可能性を考えていないのは、頭の悪さでは
頭の悪さで間違っているのでは
俺が正しいのでは
例えばこう考えられる
繰り返すが
俺は適度に小洒落るが、しなくてもいい
これ
人に自由を与える
超えればいいだけ
これは凄く簡単な考えなのに、これが分からないことが分からない
馬鹿などとは思わないが、分からない
俺が正しい気がすしてしまう
いらない自信の気がするのに