【今宵の「○○の本箱から」〝勘違い国家が完膚なきまで敗戦〟の日に】
[DJ:フライングで、準備中の一部を紹介します゚゚゚邪悪なJAPPON製〝臣民根性〟の一例(第2パラグラフ)゚゚゚]
――小野田博一『論理的に考える方法 本質への筋道が読める』日本実業出版社[1998年刊]
同著 ≫ 第1章 論理的な思考とはどういうものか ≫ コラム「日本の美徳――「和」」より全文
日本には「和」という概念があります。これは日本の文化を代表するものの一つであり、私はそれを誇りに思っています。
「和」とは英訳できない語であり、それは「感情的な対立を避けることを重んじる精神」です。「和」を大切にしていれば、どんなに議論を戦わせても、感情は別のところに切り離してつねに冷静に議論ができるはずです。
私が「和」を高く評価するのは、その点からです――「和」の精神が、正しい議論を導くからです。
ところが、残念ながら、日本人の多くは「和」の語を間違って認識しています。和を和合(unity)と同一視して、「全体への埋没」・「没個性」を目指しています。
そして本人には没個性を目指している意識はなく、個性を重んじているつもりでいますが、秀でた者を叩いて平凡なレベルに引き落としそうと行動します。
こうしてでき上がる画一性は、「和」ではありません。
和合は断じてするべきではありません。それは「競り合いで向上してゆく社会」を否定するものであり、凡人社会をつくるからです。
「感情的な対立を避けることを重んじる精神」により、人々は議論を正しく戦わせることができ、それによってこそ日本文化はより繁栄するでしょう。