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…心理反応の法則性にもとづき厳密に構成したものである。 ??「被告等の積極的主張」(「『宴のあと』事件」判決)[20]
裁判は、「表現の自由」と「私生活をみだりに明かされない権利」という論点で進められたが、1964年(昭和39年)9月28日に東京地方裁判所で判決が出て[21]、三島側は80万円の損害賠償の支払いを命じられた(ただし謝罪広告の必要はなし)[1][2]。
このときに伊藤整も傍聴していた[22]。三島は、芸術的表現の自由が原告のプライバシーに優先すると主張したが、第一審、東京地裁の石田哲一裁判長は判決において以下の論述を出した。
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裁判長・石田哲一
「小説なり映画なりがいかに芸術的価値においてみるべきものがあるとしても、そのことが当然にプライバシー侵害の違法性を阻却するものとは考えられない。
それはプライバシーの価値と芸術的価値の基準とはまったく異質のものであり、法はそのいずれが優位に立つものとも決定できないからである。
たとえば、無断で特定の女性の裸身をそれと判るような形式、方法で表現した芸術作品が、芸術的にいかに秀れていても、通常の女性の感受性として、そのような形の公開を欲しない社会では、やはりプライバシーの侵害であって、違法性を否定することはできない」
石田裁判長は、「言論、表現の自由は絶対的なものではなく、他の名誉、信用、プライバシー等の法益を侵害しないかぎりにおいてその自由が保障されているものである」との判断を示し、「プライバシー権侵害の要件は次の4点である」と判示した。
私生活上の事実、またはそれらしく受け取られるおそれのある事柄であること一般人の感受性を基準として当事者の立場に立った場合、
公開を欲しないであろうと認められるべき事柄であること一般の人にまだ知られていない事柄であることこのような公開によって当該私人が現実に不快や不安の念を覚えたこと
『宴のあと』がプライバシー侵害に該当するという判決について三島は、〈言論人全体〉ひいては〈小説といふものを手にする読者全体〉に対する〈侮蔑〉であり、
〈見のがしがたい非論理的な帰結〉だとして、〈悪徳週刊誌退治といふ「社会的正当性」のために、文学作品が利用され、おとしめられ、同一水準に扱はれた、もつとも非文化的な事例〉だとして抗議した[23]。
この判決の底には明治政府以来の芸術に対する社会的有効性による評価、芸術(文学)の自律性の蔑視、芸術の全体性の軽視その他の、近視眼的見解が横溢していゐる。
文学作品その他として評価せず、部分を以て、ワイセツだとか、人を傷つけたとか言つて判断するのは、チャタレー裁判以来少しもかはらぬ通弊であるが、今度の裁判では、純民事訴訟的見地から、財産権人格権保護の立場にのみ立つて、判決したといふ遁辞があるかもしれない。
??三島由紀夫「私だけの問題ではない――小説『宴のあと』判決に抗議する」[23]
三島側は10月に控訴するが、この翌年の1965年(昭和40年)3月4日に有田が死去したため、1966年(昭和41年)11月28日、有田の遺族と三島・新潮社との間に和解が成立して、無事に無修正で出版できることになった[24][1][25]。
三島は一連の経過を振り返って、〈日本最初のプライバシー裁判としては「宴のあと」事件は、まことに不適切な、不幸な事件であつた〉としている[24]。
もしこれが、市井の一私人が、低俗な言論の暴力によつて私事をあばかれたケースであつたとしたら、プライバシーなる新しい法理念は、どんなに明確な形で人々の心にしみ入