しかし、彼女たちの胸には、ヘリテージ財団での講演で感じた、かすかな希望の光が灯っていた。
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自分たちの声に耳を傾け、共感してくれる人々が、確かに存在することを知ったからだ。
そして、何よりも、祖父母たちの無念を晴らし、真実を未来に伝えたいという強い思いが、彼女たちの背中を押していた。
宿に戻った三人は、改めて言葉を交わした。
「私たちは、『在日』として生きてきた。常に、二つの祖国の間で揺れ動きながら」と、ソヨンが言った。
「でも、済州島に来て、祖父母の生きた土地に触れて、改めて思った。私たちにとっての『民族』とは何なのだろうか。『民族自決』とは、一体誰のためのものなのだろうか。」
ジウが答えた。「李承晩のような独裁者のための『民族自決』ならば、そんなものは必要ない。大切なのは、個人の尊厳が守られ、自由と平和が保障される社会。それが、私たちの祖父母が求めていたものだったはずだ。」
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ソヒョンは、静かに頷いた。「私たちは、韓国の国粋主義者たちに、敢えて問いかけたい。あなたたちの言う『愛国』とは、一体何なのかと。自国民を虐殺し、異質なものを排除しようとする排外主義と、どこが違うのかと。」
三人は、夜遅くまで語り合った。彼女たちの言葉は、77年前の済州島の悲劇を、単なる過去の出来事としてではなく、現代を生きる自分たちの問題として捉えようとする、真摯な問いかけだった。
翌朝、三人は、朝日が照らす済州島の海を眺めていた。穏やかな波の音は、まるで島に眠る犠牲者たちの鎮魂歌のようだった。
彼女たちの心には、ワシントンで感じた希望と、この島で改めて抱いた決意が、静かに共存していた。
彼女たちの声は、小さな波かもしれない。しかし、その波紋は、やがて大きなうねりとなり、韓国社会の根深い民族主義の壁を揺るがすかもしれない。
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彼女たちの勇気ある行動は、虐げられた人々の魂に、遅すぎた春を告げる声となるだろう。