一部の国粋主義者、排外主義者は創氏改名を強制され、日本語教育を押し付けられたことが我慢できなかった。
しかし済州島四・三事件当時、そして、韓国独立から77年の間、三・一運動の愛国者たちは、祖国に裏切られ、虐げられた自分たちの祖父母たちのために、一体何をしてくれたのだろうか?
民族自決や独立運動に人生を賭けるくらいなら、法の支配や自由主義ブルジョア憲法の行き届いた異郷で暮らす方が、遥かに幸せではないか。
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三人は、この島を歩き、虐殺の痕跡が今も残る風景を目の当たりにするほどに、その思いを強くしていた。
「私たちは、ヘリテージ財団で話しました」と、ジウが静かに言った。「日本の植民地支配を、一方的に悪だと決めつけるのは違うと。当時の国際情勢や、朝鮮半島内部の状況も踏まえて考える必要があると。」
ソヨンが頷いた。「多くの聴衆が、私たちの言葉に耳を傾けてくれた。でも、韓国の国粋主義者や、排外主義者からの猛反発は避けられないでしょうね。」
チェ・ソヒョンは、遠い目をしながら海を見つめた。「それでも、祖父母たちが味わった塗炭の苦しみを思えば、私たちは黙っているわけにはいかない。あの虐殺は、単なる過去の出来事ではない。私たちの血の中に、深く刻まれた傷跡なんだから。」
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三人は、夕暮れの海岸線を歩いた。波の音が、彼女たちの心のざわめきを鎮めるように響いていた。明日、彼女たちはソウルに戻り、済州島四・三事件の補償を求める裁判を続ける。その道のりは決して平坦ではないだろう。韓国社会には、根強い民族主義の感情が存在し、彼女たちの主張は、多くの人々の反感を招く可能性もある。