平成時代の次の年号はと聞かれると、大光時代と答えたい。
結局、光が最も輝く時代が平成時代の次に求められると考える冪で、
大光時代が最も相応しい年号ではないか。
大光は単純でいいし、年号に光を使う事で未来への光、明るい光輝く時代を
求め、光が人々に降り注ぐ時代で在って欲しいという意味でも大光時代が
新しい年号に相応しいのではないだろうか。
決まりだね。結構、語呂もいいし、真実の光、未来の光、心の光、光が
照らすことで心が晴れる。
光に満ちた社会が真実の社会である為に大きな光を、その為にも
大光時代が求められている。
真実のない真実では遣り切れないと思う。
憲法改正に見る軍国主義者たちの暗躍、光が届かない政治では人々は
生きていけない。
ロケットを迎撃するロケットを日本中に配備する現首相に何らかの光が
あるのだろうか。
ロケットが人々の頭上に降り注ぐまで、政治は何もしないのか、確かに
真実のない真実、それは現在のテレビ報道に見られる真実を語れない
報道機関の姿に多くの国民たちは振り回され、真実を見極めることが
出来ない人々を増やし、真実を求めない人々を生産しているように
思える。