子供に取って不倫は虐待であり、家族崩壊、人間として絆を失う事件、
そして、性欲という欲望によって家族という存在が崩壊する事実を知り、
性欲からの逃避を試みる。
妻は世間体という魔物の存在を痛烈に感じる。いつも夫はテレビに
出ている。その顔を見る。お前はまた愛人を作ったのかと自問する。
そして、夫が男だった頃を思い出し、その欲望に満ちた性の奴隷だった
肉体の記憶を辿り、あの興奮の日々が脳裏に蘇り、いつしか体が火照り
目を閉じた。愛人に対する夫はあの時の性の野獣のか、それとも、狂った
ように女として求めた私の体を思い出して、愛人の体を求めたのか。
憎らしく感じるのは今は夫は私のこの燃え盛る体を求めないのではなく、
未だに夫は私の体を求め、私を性の奴隷として、扱っていることだ。
それは子供たちも知っている。ある夜、子供たちに見られてしまった。
こどもたちは何も言わなかったが、何となく感じた。淫らな姿を子供たちは
見たのだ。
慰安婦と愛人、そして、妻、男に取って同じなのか、それともテレビは
どう思っているか。
不倫に対して、正面から向かわないと道徳、法律、世間体の崩壊を招き
兼ねない。不倫した男が、女もいる、テレビの中で何もなかった様に笑い、
莫大な出演料を貰い、その金で家庭崩壊、こどもは虐待、道徳心のない
テレビの存在を世の中は感じ、不貞を働いた夫の恐怖を感じながら、
弱い妻は性の奴隷を演じ続ける。
軍国主義者たちは慰安婦の存在を否定はしない、なぜなら、人の命を
奪うことも、人の命を生み出す性も、快楽と思っているからではないか。