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中島岳志氏(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)
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安倍元首相銃撃事件の発生から9カ月後、岸田首相をめがけて爆発物が投げ込まれた。現職首相を狙った木村隆二容疑者(24)は黙秘を続け、動機は判然としないものの、両事件の共通点は「生きづらさ」だという。戦前のテロ事件や、近年の無差別殺傷事件の背景などに迫った著書でも知られる政治学者の指摘だ。
いまの社会状況は1920年代に似ているとも警鐘を鳴らす。生きづらさが暴力性を帯び、その矛先が権力者に向かった結果、治安維持強化が容認され、言論の自由を喪失した時代だ。詳しく聞いた。
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──権力者を標的にした両事件をテロとみなしていますね。実行犯はいずれも定職に就かず、自分のあり方、生き方に悩みを抱えていたようです。
生きづらさの問題はついにここまで来たか、そう思いました。僕が政治学を研究するプロセスで避けて通れないのが新自由主義をめぐる問題で、それは生きづらさとリンクする。この点を当初から強調してきました。経済的な貧困ばかりでなく、関係性の貧困を招くからです。
派遣労働などの非正規雇用は職場を転々とし、名前すら呼ばれずに「そこの派遣さん」と声をかけられたりする。代替可能性を突きつけられる労働形態です。そういうところに身を置くと、なぜ自分は生きているのか、という実存の問題が先鋭化していく。
──この30年で労働者に占める非正規雇用の割合は倍増し、足元では4割に膨らんでいます。
アイデンティティーの底が抜けた人が多勢を占めていく中、2000年代後半に相次いだのが無差別殺傷事件でした。典型が秋葉原事件。加藤智大元死刑囚(22年7月に執行)は犯行前、携帯サイトに〈「誰でもよかった」なんかわかる気がする〉と書き込んでいた。
3カ月前の土浦事件に言及したもので、「まずいな」と思いました。新自由主義という大きな構造がもたらした生きづらさの問題が暴力につながっている。「こいつが悪い」と名指しできない構造の中で生きづらさを強いられている。
「敵」が見えない状況から、僕は当時「誰かを殺せない事件」と書いたんですが、はけ口が具体性を帯びればテロの時代に入る予感があった。類似性のある戦前期を掘り下げなければと思い、秋葉原事件の翌年に出版したのが「朝日平吾の鬱屈」でした。