朝日新聞4月15日朝刊広告ページより 三田紀房氏作 広告版「ドラゴン桜」
40歳の教科書
母 「はやいうちにいい学校に入ればあなたがラクできるのよ」
本人 「行く学校くらい自分で決めるよ」
両親 「私たちはあなたに幸せになってもらいたいのよ」
三田 「その受験で幸せになるのは子どもじゃなくてあんたたちだろ!!」
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【正論】お茶の水女子大学 藤原正彦 学ばせるべきは誇り高き日本の文化
小学校での英語教育を主張する人の大多数は、英語が不得意の人である。自分ができないのを何かのせいにする、というのは人情である。かつては、文法や読解に重点をおいた従来の英語教育法が悪い、と声高に叫ばれた。教科書や授業で会話英語が大幅に取り入れられた。そんな教育を受けてきた大学生の英語基礎力の低下は、関係者からよく指摘されることである。
しからば他の理由ということで、「小学校から始めなかったのが悪い」となった。
≪母国語こそが文化の中核≫
大ていの日本人が英語をなかなか会得できないのは、日本人にとって英語自体が極端に難しいからという理由につきる。何かが悪いからではない。日本にいて英語をマスターしている人はすべて、外国語適性の高い人が膨大な時間と労力をかけた結果である。
英語は文法的にも文化背景から言っても、日本語からあまりにも遠い。アメリカ国務省は、外交官などのため外国語学習の難易度をランキングしているが、日本語はアラビア語とならび最難解とされている。この距離ゆえに、日本人にとって英語は根本的に難しいのである。そのうえフィリピン、シンガポール、インドなどと違い、日本で日常生活を送るうえで日本語以外の言語はまったく不必要である。
どうしても習得しなければ、という動機も覚悟もわきにくい。
これらは嘆くべきことではない。外国語が不必要というのは、他のアジア・アフリカ諸国と異なり、かつて欧米の植民地にならなかったという栄光の歴史を物語っている。