これは一般論として聞いてほしいのだが、
「○○さんは✕✕教の信者である」ということが日本では、
○○さんの思想・信条や世界観を『全く』反映していない場合が
甚だ多いという事実が有る。
多くの人が、
入信届を書いたこともなければ信仰告白をしたこともない宗教の檀信徒であり、
また氏子でもある。
https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1582873975767851008
これは一般論として聞いてほしいのだが、
「○○さんは✕✕教の信者である」ということが日本では、
○○さんの思想・信条や世界観を『全く』反映していない場合が
甚だ多いという事実が有る。
多くの人が、
入信届を書いたこともなければ信仰告白をしたこともない宗教の檀信徒であり、
また氏子でもある。
https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1582873975767851008
例えば私の場合、
世界観としては弁証法的唯物論を、
人生観としては世俗的ヒューマニズムを、
社会思想としては社会主義を奉じてやまない。
が、
大阪の旧平野郷出身者として杭全神社の氏子となり、
酒井家の長男として浄土宗の地久山天長院櫻井寺の
檀信徒となっている。
入信した覚えなど全く無いのにだ。
https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1582876376063168513
旧統一教会=家庭連合でも事情は同じで、
「家庭連合の信者である」ということが
単に、
「家庭連合を信仰する家族の子である」
以上の意味を持たない人が
かなり居るのではないかという気がする
(言わゆる二世問題)。
「信者である」ことが単純には、
その人の信仰を意味しない ややこしさが
そこには有る。
https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1582878659777822720