■筑紫哲也にも届いていた脅迫文
宮本氏の国会質問では、さらに赤報隊事件の発生直前の85年5月、朝日新聞社が発行していた雑誌「朝日ジャーナル」に掲載された故筑紫哲也氏のコラムも参考資料として示された。旧統一教会の問題を取り上げた「戦争を知らない子どもたち」と題されたコラムで、《最近、えたいの知れない手紙がよく来る》として、その《手紙》の内容を事細かに著している。
ここにその一部を抜粋して紹介する。
《これ以上おれたちの悪口をいうときさまの子供と女房をブチ殺すぞ。おれは韓国製M16ライフルを持っているし韓国で軍事訓練をうけてきた。おれたちの仲間もみんなきさまを殺したがっている。
いいか、これは決しておどしではない。文鮮明様のためだったら命の一つや二つ捨てたっておしくない奴がおれたちの仲間には百人以上いるんだ。(中略)いっておくが警察はおれたちの味方だ。おれたちの操り人形だ。おれたちには岸元首相がついている。まず筑紫哲也のガキとその女房(中略)から殺してやる。それがいやなら次の週の朝日ジャーナルに謝罪記事を出せ》
手紙の末尾は、《アカサタンを殺すことだけが生きがいの文鮮明様の使徒より》と結ばれている。
教祖である《文鮮明》の名前を持ち出していることから、《手紙》の差出人と旧統一教会との関係を疑わせる。読む者に明白な生命の危険を感じさせる内容であり、行間の節々から脅迫の意図がにじんでいる。
もちろん、この手紙が実際に筑紫氏に届いたものなのか、真相は定かではない。すでに物故者である筑紫氏に事の真偽を確かめる術もないが、生前のジャーナリストとしての実績を顧みれば、《手紙》がまったくの創作とも断じることはできないはずだ。
警察当局が作成したという捜査資料、銃弾によるテロが実行された赤報隊事件を連想させる物騒な手紙...。宮本氏はこれらの資料をもとに、谷・国家公安委員長に「もう一度調べるべきではないのか」と迫り、「赤報隊事件」の再捜査を求めたのだ。
谷氏は「公訴時効成立後に捜査を行わないというのが原則」としながらも、「犯人が自ら名乗り出た場合など特段の事情がある場合には、警察として事実確認などを行うことはあり得る」とも述べ、真相解明にわずかな期待を抱かせた。
35年の時を経て、昭和の闇に葬られた連続テロ事件が白日の下に晒される時は来るのだろうか......。
https://wpb.shueisha.co.jp/news/politics/2023/02/09/118482/