なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。
民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も
徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が8刷とロングセラーになっている。
ここでは、学徒兵だった西進次郎元陸軍伍長の証言を紹介する。
遺骨収集作業は上陸翌日に始まった。
壕の入り口付近で見つかったその兵士の遺骨は、頭だけが粉々だった。
「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」
約10年前から毎年、遺骨収集に参加している神奈川県のベテラン団員の水野勇さん(74=年齢はいずれも当時=)がそうこぼした。
一部の骨片には鉄が付いていた。近くでは手榴弾の破片も見つかった。
ここは硫黄島の北端。「矢弾尽キ果テ散ルゾ悲シキ」との訣別電報などで知られる硫黄島守備隊の最高指揮官
栗林忠道中将がいた司令部壕から400メートル北東側だ。1932年ロサンゼルス五輪馬術金メダリストで戦車部隊を率いた
バロン西(西竹一男爵)が消息を絶ったと伝えられる地からも近い。
「首なし兵士」は追い詰められて、手榴弾を頭に当てて爆発させ、自決したのだろうか。
先の大戦では大勢の日本兵が自決によって絶命した。背景として知られているのは、1941年に東条英機陸相が説いた
軍人の心得「戦陣訓」がある。その一節である「生きて虜囚の辱を受けず」を多くの兵士は忠実に守り、捕虜になることを拒み、自決を選んだ。
きっとこの兵士もその一人だと僕は考えた。だから、その時点の僕は、頭がない遺体が多い理由を探ろうとはしなかった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/109a7d6e53cf2001723b72b8a96b362de63dc44e