日本で空中浮遊を生み出すスキルが発見される #8

8番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/06/10(月) 20:36:02.97 ID:???

大規模寺院における稚児
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%9A%E5%85%90

平安時代頃から、真言宗、天台宗等の大規模寺院において、剃髪しない少年修行僧(12~18歳くらい)が現れはじめ、これも稚児と呼ばれるようになった。
皇族や上位貴族の子弟が行儀見習いなどで寺に預けられる「上稚児」、頭の良さを見込まれて世話係として僧侶に従う「中稚児」、芸道などの才能が見込まれて雇われたり腐敗僧侶に売られてきた「下稚児」がいた。
禅宗では喝食と呼ばれた。

髪形は垂髪、または、稚児髷で、平安貴族女性と同様の化粧をし(お歯黒も付ける場合もあった)、極彩色の水干を着た。又、女装する場合もあり、その場合、少女と見分けがつきにくかった。

真言宗、天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされた(ただし上稚児は対象外)。
中世以降の禅林(禅宗寺院)や華厳宗などにおいても、稚児・喝食は主に男色、衆道、少年愛の対象であった。

特に、天台宗においては「稚児灌頂」という儀式が行われ、この時に「○○丸」と命名された。
これを受けた稚児は観音菩薩と同格とされ、神聖視された。また例えば華厳宗東大寺の宗性のように、およそ100人の稚児と関係を持った僧侶も存在した。

室町時代に書かれた「お伽草子」には僧侶と稚児の恋愛や稚児が観音菩薩の化身として現れる“稚児物”と呼ばれる作品群があり、また稚児を巡る社会風潮を批判するために書かれた『若気嘲弄物語』のような作品もあった。

また、大法会の際に舞楽、散楽、延年を上演する場合が多く、他の寺の僧侶からも注目を集めた。
これらの稚児は成人に達すると還俗する場合が多いが出家して住職となった者もいたらしい。

このスレッドを全て表示


このスレッドは過去ログです。