米イスラエル首脳、イスラエルとサウジの関係正常化に向けた協力確約 #76

76番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2024/04/17(水) 00:13:50.91 ID:bs5M3PqR

がん研究会ががん専門研究団体「癌研究会」として発足したのは明治41年(1908年)、今から約1世紀の昔である。当時ヨーロッパを中心に、がんに対する関心が高まり、がん研究の国際協力への呼びかけが日本にもとどいた。癌研究会はその呼びかけに応じる形で創立された。

創立に際しては、青山胤通、山極勝三郎、渋澤栄一、桂太郎等、当時の学会、財界、政界を代表する人物が多数、中心メンバーとして名を連ねた。
日露戦争に勝利した日本を、今後は文化国家としても世界の一流国に発展させたいという、当時の人々の熱意が、がん研究会の創立という一事からも伝わってくる。会の目的は、「がん撲滅をもって人類の福祉に貢献する」と高くかかげた。

癌研究会は、学術集会の開催や研究助成を行う一方、がん研究と治療の専門施設の建設の必要性を訴え、募金活動を行った。しかし、当時はまだ結核など伝染病が重要で、がんの悲惨さはなかなか理解されず、政府からも財界からも、大きな支援は得られなかったのである。
大正11年になって天皇陛下から1万円の御下賜金があり、これがはずみとなり、募金が進んだ。

昭和9年(1934年)、遂にわが国初のがん専門の研究所とその附属病院が、西巣鴨の地に開設された。癌研究会が募金を始めてから実に26年経っている。
開設にこぎつけるために、後の東大総長長與又郎が精魂を傾けて努力をした。また高松宮妃殿下からも多額のご寄附があり、宮妃からのご支援はその後も続いた。内田祥三設計の白亜の5階建の洋風建築は、松林に囲まれた巣鴨の丘の上で燦然と輝いた。

開設直後に三井報恩会から100万円相当のラジウム5,000mgのご寄附があり、癌研病院は一躍世界有数のラジウム治療施設になった。当時の100万円は現在の数100億円に相当する。
学会、医学会はもとより、一般社会もこの寄附を、人類の幸福に寄与する快挙とたたえ、長与又郎はその日の日記に「至誠通天」と記した。

昭和37年頃、国立がんセンターや愛知県がんセンターが開設され、ついで全国に多数のがん専門施設ができた。政府はがん研究に対し補助金を出すようになった。
がん研究と治療の専門施設の必要性を説いてきた癌研究会の活動が、半世紀を経て、ようやく実を結びはじめたのである。しかし30年の間唯一の施設だったので、「ガンケン」と言えば当会を意味する習慣は、今でも続いている。

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