Ⅱ.新義真言宗(智山派・豊山派)の祖である、覚鑁の事績に含まれる問題点について。
[覚鑁の問題①]覚鑁は、鳥羽上皇の支援を得て大伝法院を建立し、僧侶の勉強会である伝法会の復興を志した。覚鑁は、大伝法院の座主に就任したのち、院宣により金剛峰寺の座主を兼ねようとするも、反発を受けて失敗した。
新設の大伝法院を拠点に活動したことで、金剛峰寺(要は高野山内の他寺院)との権力2元構造を自ら作り出して、恒常的に権限争いが起こる状況を招き、被害者とはいえ、自滅的に追い出されたようにも見える。
大伝法院方との争いの中で、責任を問われた金剛峰寺方の良禅は、一度、失脚した後に復職している。もちろん、覚鑁は、いわゆる「錐もみ騒動」の被害者ではある。