【岐阜】陸自射撃場で自動小銃を発射 18歳隊員を殺人未遂で現行犯逮捕 #924

924番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2023/12/02(土) 04:29:24.14 ID:???

1969年(昭和44年)、京都の東本願寺を本山とする真宗大谷派内部において、教義上の解釈や宗派の運営方針等をめぐって保革が対立し、紛争に及んだ(お東騒動)。

第二十四代法主・大谷光暢(闡如)は改革派の動きに反対し、1978年(昭和53年)、本願寺の法統を守る為として、真宗大谷派との包括関係を解き、京都の東本願寺の独立を進めることを宣言。
同時に全国の別院・末寺にも真宗大谷派からの独立を呼びかけた。

光暢の長男で真宗大谷派の法嗣(新門)であった大谷光紹(興如)は、これに呼応し、自身が住職を務めていた真宗大谷派東京別院東京本願寺(浅草門跡)の独立を進め、1981年(昭和56年)6月15日に認証された。
一方、改革派は、光暢が進めていた東本願寺の独立を阻止し、宗派の憲法である「真宗大谷派宗憲」の改定を進め、1981年(昭和56年)6月11日に新宗憲を公布・施行。

このような一連の動きを受けて、光紹は、1988年(昭和63年)2月29日、真宗大谷派の規則変更により消滅させられた「東本願寺法主」の地位を継承するとして、東本願寺第二十五世法主の継承を宣言。
同時に三百数十ヶ寺に及ぶ真宗大谷派からの独立寺院を率いて「浄土真宗東本願寺派」を結成し、「東京本願寺」を本山とした。

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