吉野ケ里遺跡「記号の石ぶた」は石棺墓 邪馬台国時代の有力者の墓か 6月5日に県調査

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2023/05/30(火) 20:33:07.81 ID:S28gZo7x

国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側にある「謎のエリア」で4月に見つかった
石ぶたに関して、佐賀県は29日、板石を組み合わせた石棺墓(せっかんぼ)だったことが分かり、邪馬台国が
あったとされる2世紀後半~3世紀中頃につくられた可能性が高いと発表した。墓の規模や形状などから推定、
県では有力者の墓ではないかとみている。これまでに吉野ケ里最盛期となる邪馬台国時代の有力者の墓は
見つかっておらず、最大の謎とされてきた。県は6月5日に石ぶたを開けて調査する。

邪馬台国時代は弥生時代後期~終末期で、吉野ケ里では南内郭や北内郭が設けられた集落の
最盛期として知られている。この時代の王たちの墓はまだ見つかっていない。

県によると、墓を据える穴「墓坑(ぼこう)」の規模が3・2メートル×1・7メートルと、これまで吉野ケ里で見つかった
石棺墓18基の中で最大だったという。最新の調査では石ぶたが4枚見つかっており、このうち2枚に「×」や片仮名の
「キ」に似た記号らしきものが多数刻まれていた。見晴らしのよい丘陵部分に単独で埋葬された可能性が高く、こうした複数の特徴から有力者の墓とみている。

県は昨年度、日吉神社跡で未掘だった「謎のエリア」で10年ぶりに発掘を実施。北側から調査し、弥生時代の
甕棺墓(かめかんぼ)列を確認した。本年度はエリア南側を5月3日から調査し、その準備で4月末に表土をはがした際に石ぶたを見つけていた。

29日、臨時の記者会見を開いた山口祥義知事は「わくわくしている。歴史を変える世紀の発見が
あるかもしれないし、拍子抜けするかもしれない。皆さまに関心を持っていただければ」と語った。

邪馬台国を巡っては畿内、九州説の論争が長く続いている。県は「今回の調査で、論争や学説に
踏み込める段階ではない。ただ、副葬品には注目している」と述べた。

石ぶたを開ける作業については一般公開せず、現在続いている発掘現場の公開は6月2日で終了する。

https://www.saga-s.co.jp/articles/-/1045170

2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2023/05/30(火) 22:06:28.10 ID:57mjXVFu

卑弥呼女王のいちばん最初の漢字だけはいまだに違和感

3番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2023/05/31(水) 17:16:20.14 ID:7cFHEW0I

卑弥呼もいいんだけども
埋め戻しちゃった貴人の墓、中臣鎌足の墓じゃないかって言われているアレについてきちんと調べてほしいよ。


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