国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側にある「謎のエリア」で4月に見つかった
石ぶたに関して、佐賀県は29日、板石を組み合わせた石棺墓(せっかんぼ)だったことが分かり、邪馬台国が
あったとされる2世紀後半~3世紀中頃につくられた可能性が高いと発表した。墓の規模や形状などから推定、
県では有力者の墓ではないかとみている。これまでに吉野ケ里最盛期となる邪馬台国時代の有力者の墓は
見つかっておらず、最大の謎とされてきた。県は6月5日に石ぶたを開けて調査する。
邪馬台国時代は弥生時代後期~終末期で、吉野ケ里では南内郭や北内郭が設けられた集落の
最盛期として知られている。この時代の王たちの墓はまだ見つかっていない。
県によると、墓を据える穴「墓坑(ぼこう)」の規模が3・2メートル×1・7メートルと、これまで吉野ケ里で見つかった
石棺墓18基の中で最大だったという。最新の調査では石ぶたが4枚見つかっており、このうち2枚に「×」や片仮名の
「キ」に似た記号らしきものが多数刻まれていた。見晴らしのよい丘陵部分に単独で埋葬された可能性が高く、こうした複数の特徴から有力者の墓とみている。
県は昨年度、日吉神社跡で未掘だった「謎のエリア」で10年ぶりに発掘を実施。北側から調査し、弥生時代の
甕棺墓(かめかんぼ)列を確認した。本年度はエリア南側を5月3日から調査し、その準備で4月末に表土をはがした際に石ぶたを見つけていた。
29日、臨時の記者会見を開いた山口祥義知事は「わくわくしている。歴史を変える世紀の発見が
あるかもしれないし、拍子抜けするかもしれない。皆さまに関心を持っていただければ」と語った。
邪馬台国を巡っては畿内、九州説の論争が長く続いている。県は「今回の調査で、論争や学説に
踏み込める段階ではない。ただ、副葬品には注目している」と述べた。
石ぶたを開ける作業については一般公開せず、現在続いている発掘現場の公開は6月2日で終了する。
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/1045170