覚鑁についての検討2/2(修正)
積極的に考えると、真言を関東に広めるために覚鑁が選ばれたのかも知らんけどな
京都政権への反逆というのが、関東では疑わずに受け入れられる
逆に京都政権の優等生は、関東では受け入れがたい
関東で真言を広めるためには、覚鑁が必要だった、ので、天が彼とその宗派に運命を与えた
こうも考えられる
天は、智・豊に含むところがあるのかもしれない
覚鑁に係る諸々は、新義サイドの全体の傾向の話であって、地縁で智だとか成田山だとかで、覚鑁カラーの薄い寺も少なくない
でも根来寺が東寺高野を悪者にするので、関東で智・豊の墓が売れて、空海の秘法にあずかる人が増える、という面もある
新義のスタイルは良かれ悪しかれって感じ
理屈から外れるが経営上必要みたいな、必要悪的な雰囲気
そうは言えど、天が、歪んでいるものを歪んでいるまま必要とすることはないのではないか
歪みを正せ
正せないならゴミ箱行き、ではないのか
高野派だって覚鑁を追い落とした側なんだから、完ぺきではない
それは新義サイドがギャーギャー言うので、業界の人は良く知っている
一定の事績があるが、覚鑁の行動にも瑕疵があった、と冷静に歴史を把握して記述すればいいだけの話じゃないのかといっている
今となっては高野派よりも、その辺を「嫉妬された」とか包み隠して、被害者面して自派の宣伝している新義サイドの一部の寺の言動がおかしいと言っている