政治家としての覚鑁は、賛否両論で、絶対の正義ではなかったかもしれないが
高野山側が手を出して悪者になったので、覚鑁がそこで正当性を得た
その後に、覚鑁が絶対の正義であるというような言説が再生産される
政治家としての覚鑁は絶対に正しかったのかどうなのか、と自分なんかは思うが
そうは言っても、立場の差の問題の中で、覚鑁は反対があることを実行しても悪いことは実行していない、悪いことを実行したのはほかの人
だから、覚鑁が真言のスターなんですね
変な感じ
政治家としての覚鑁は、賛否両論で、絶対の正義ではなかったかもしれないが
高野山側が手を出して悪者になったので、覚鑁がそこで正当性を得た
その後に、覚鑁が絶対の正義であるというような言説が再生産される
政治家としての覚鑁は絶対に正しかったのかどうなのか、と自分なんかは思うが
そうは言っても、立場の差の問題の中で、覚鑁は反対があることを実行しても悪いことは実行していない、悪いことを実行したのはほかの人
だから、覚鑁が真言のスターなんですね
変な感じ