太平洋戦争で「最も無謀」と言われたインパール作戦。
実はその後の1年間で、それをはるかに上回る命が失われていた。
戦局がほぼ決したビルマで何が起きていたのか。
1944年3月インパール作戦決行
ご存じのように大敗北の上に作戦も何もない撤退戦で白骨街道と化す
死者約3万
ビルマ侵攻後の日本の将兵の死者は16万7000人。
インパール作戦のあと、さらに10万人以上もの命が失われた
高級将校は芸者遊びに夢中
ビルマ方面軍 木村司令官(東条英機の子飼い)
『内地に転勤』位の軽い気持ちで《箔を付けるため》ビルマ方面に赴任するも
戦争をする意志も能力も何もない
「ビルマを死守せよ」「ガンバレ」と言い残し司令部だけ勝手にタイに撤退
結局終戦後英国に尋問され
「僕悪くないもーん。全滅しちゃったら申し訳ないから逃げただけだもーん」
若き日のアウンサン将軍(アウンサン・スー・チーさんの父)
「英国からの独立を勝ち取るためにドイツやイタリアのような強い軍隊が必要」
と日本に接近し日本の士官学校をでて当初は日本の指揮下でビルマ国軍は戦う
しかし
「日本軍の指揮下にビルマ国軍は入る」不平等条約を飲まされ
ビルマ国軍を絶望の戦場で日本の為に使おうとして
「日本軍は自分達のことを何とも思ってない」
と気づき反旗を翻し日本軍を攻撃
そもそも元々の村や集落があったところを日本が陣地にしたり戦場にした
元日本軍兵士の証言
「アイツはスパイだから殺せ」
と上官から証拠もないのに突然命令され
嫌だが仕方なくただ歩いていただけの村人を殺す
「何十人も殺した」
との元日本兵の証言も
ビルマに進出していた日本の民間企業もビルマの人々か国軍から攻撃され殺される
民間企業も結局無理矢理徴用され戦死者多数
日本軍は最終的に密林に逃げ込みビルマ国軍と上陸してきた英国軍に追いつめられる
密林を流れる川を渡ろうとすると銃撃され殺されて下流にインド洋に流れていった