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わたしのテーマの一つに、若き日蓮への覚鑁の影響がある。そのためか、わたしが「日蓮が覚鑁を全面的に肯定していた」と考えていると批判する人がいたので、以下、メモ。
日蓮宗電子聖典で見る限り、日蓮遺文で「覚鑁」の用例は、真蹟のない『真言天台勝劣事』にしかない。
「覺鑁かくばんは法華は眞言の履はきもの取とりに不トレ及釋せり」とある。
では、真蹟には覚鑁の用例はないのかと思いきや、「正聖覚」と房号をもって、『撰時抄』『太田禅門許御書』『曾谷入道許御書』にある。
「聖覺房カ舍利講ノ式云。尊高者也不二摩訶衍之佛。驢牛三身不能扶車。祕奧者也兩部漫陀羅之教。顯乘四法不堪採履ト云云』
写本でも『法華大綱鈔』『早勝問答』に名はなくても、覚鑁舍利講式を指すと思しき文章が載る。
舍利講式は『興教大師全集』では「舍利供養式」の題名で掲載されている。
該当文の日蓮の解説は遺文ごとに区々で
『撰時抄』では「顯乘ノ四法ト申ハ法相三論華嚴法華ノ四人。驢牛ノ三身ト申ハ法華華嚴般若深密經ノ教主ノ四佛。此等ノ佛僧ハ眞言師ニ對スレハ聖覺弘法ノ牛飼履物取者ニモタラヌ程ノ事ナリトカイテ候。」
『太田禅門許御書』では「三論天台法相華嚴等元祖等相對於眞言之師不及於牛飼不足於力者書筆也。乞願彼門徒等在心之人案之。非大惡口非大謗法所詮此等 狂言弘法大師起於望後作戲論之惡口歟。」
『曽谷入道許御書』では「三論・天台・法相・華嚴等ノ元祖等ヲ相2對スルニ於眞言之師ニ1 不レ及ハ2於牛飼ニモ1 不トレ足ラ2於力者ニモ1書ケル筆也。乞願クハ彼門徒等在ン心之人ハ案セヨレ之。非スヤ2大惡口ニ1。非スヤ1大謗法ニ1。所詮此等ノ狂言ハ弘法大師ノ起ル2於望後作戲論之惡口ヨリ1歟。」
弘法に包めて、覚鑁も批判している印象だ。
ここまで真言師として批判しているから、覚鑁義を用いるはずがない。そう考えがちだが、さにあらず、換骨奪胎して、しっかりと『観心本尊抄』『阿仏房御書』にも『五輪九字明秘釈』の影響が窺えることは、また、他で書くこととする。