石原慎太郎「平仮名すらも忘れました」からの最後の作品

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/03/09(水) 22:04:44.63 ID:ApiiXGTb

石原元知事「脳梗塞で平仮名すら忘れた」の衝撃
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/051000048/051100001/
(一部)
 3月3日、築地市場の豊洲移転を決めた元東京都知事、石原慎太郎氏が記者会見を行った。会見中に石原氏は、「2年前に軽い脳梗塞を患い、奇跡的に早期発見されて一命をとりとめた」と発言。さらに3月20日、都議会の調査特別委員会(百条委員会)の証人として出席した折には、冒頭の宣誓後、脳梗塞の後遺症で記憶には不確かなところがあると断るとともに、以下のような告白をした。

 「脳梗塞の後遺症で、平仮名すらも忘れました」

 そうはいっても石原氏は、田中角栄ブームの火付け役となった書籍『天才』を昨年1月に出版し、大ベストセラーになったばかりである。会見場へ姿を現した石原氏の足元は麻痺のせいか、心もとない様子であったが、会見そのものは往時の迫力こそ欠いたものの、自らの主張を堂々と押し通し、石原節そのものであった。

 そうなると脳梗塞の障害を口にした冒頭のあいさつが嘘臭くなる。

 「石原さんは最初から逃げを打っていた」

 百条委員会の終了後、多くのメディアでそんな批判があがった。石原氏が脳梗塞について言及したことは、私の知人の編集者たちには責任逃れのための口実としか映っていなかった。

(からの)

2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/03/09(水) 22:05:53.11 ID:ApiiXGTb

「この後どれほどの命ですかね」石原慎太郎の絶筆に綴られていた“余命宣告の衝撃”(文春オンライン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5727a1ee0d2f651f83db53e7a55cfc5c8830857
(一部)
 2月1日、作家で元東京都知事の石原慎太郎氏が89歳で亡くなった。子どもたちに託された最後の作品は、次の一節から始まる。

〈令和三年十月十九日

 コロナ騒ぎに幻惑され反対する家族の反対を押しきり、このところ続いている腹痛の原因をしらべるためにあえてNTT病院に出向いて検査をうけた。相手の医師は、以前リキッドバイオプシーで膵臓の癌を指摘してくれた神田医師その人だった。

 あれは一目にも恐ろしい光景で、私も思わず息を飲んで今さらおいつくまいと覚悟しながら画面一面満天の星のように光り輝く映像を眺めながら、

「これで先生この後どれほどの命ですかね」

 質したら、

 即座にあっさりと

「まあ後三ケ月くらいでしょうかね」

 宣告してくれたものだった。

 以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない〉

 重粒子線によって焼き尽くしたはずの膵臓がんは再発していた。作家を襲った衝撃は大きかった。その日以来、「死」との格闘にさいなまれる。

 脳裏によみがえるのは畏友江藤淳のこと。そして、ある夜の夢で作家は、昔熟読したヘミングウェイの『日はまた昇る』の主人公となる。

3番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2022/03/09(水) 22:07:29.86 ID:LXG790Tn

嘘つきを放置する主体性のない無気力社会


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