アメリカの制度との違い
ところで日本の弾劾制度は、アメリカをモデルにしています。
合衆国憲法では、大統領や政府高官、連邦裁判官などが「反逆罪、収賄罪、その他の重罪または軽罪」にあたる行為をした場合に、議会が弾劾裁判に行うこととされています。
弾劾裁判の審理は通常の刑事裁判のやり方に沿って進められ、評決では、議員一人ひとり一人が「有罪」かどうかを表明し、出席議員の3分の2の「有罪」表明があれば、辞めさせたり、将来にわたって公職につくことを禁止したりすることができます。
ただ、アメリカの弾劾裁判では、政治的な理由や、職務と関係ない、単なる「不品行」を理由に裁判官を辞めさせることはできません。それだけ「裁判官の独立」が重要だと考えられているのです。
これに対し、日本の裁判官弾劾法では、
職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき
その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき
に辞めさせることができるとされています。
「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」、つまり、犯罪や不正などではなく、不品行で辞めさせることができてしまう点でアメリカの弾劾制度とは根本的に異なっており、裁判官が政治的な圧力を感じたり、世論を気にして萎縮してしまったりすることが懸念されます。
「裁判官の独立」を守り、司法が権力の暴走を止める役割を果たしていくためには、弾劾裁判で裁判官が辞めさせられる場合をできるだけ限定する必要があります。
国民の権利にも関わる問題
これから行われる弾劾裁判は、一人の裁判官を辞めさせるかどうかの問題にとどまらず、裁判を受ける国民一人ひとりの権利にかかわる大きな問題です。なぜなら、「裁判官の独立」は、国会が多数決で作る法律によって、国民の権利を奪い取ることができないようにするための、最後の砦だからです。
岡口裁判官の訴追が不当であり、弾劾裁判で罷免することに反対する声が多くの法律家から上がり、私が論じたように、訴追に疑問を呈し、危機感を表明しています。
私たちは「不当な訴追から岡口基一裁判官を守る会」を作り、支援活動を始めています。賛同者は、21名の元裁判官、800名を超える弁護士など、計2500名に達しました。
弾劾裁判の弁護団を支援するためのクラウドファンディングも12月20日から始まりました。
私は、今回の弾劾裁判の結果によってますます裁判所が政治権力に忖度するようになり、一体化して、「三権分立」が名ばかりのものになってしまうことを恐れています。
裁判官は萎縮してSNSで発言することなど許されなくなり、徹底的に管理・統制され、その枠からはみ出したら排除されてしまう。表現の自由や、人としての尊厳よりも、秩序が重視される社会。そんなディストピアの入口に、いま立たされているような気がしています。
(了)