真・善・美を尊んできた西欧人にとっては
「善人でも悪人でもない者」という人間性を流動的に切り分け
状況によって「我は悪人なりや善人なりや」を問う
なので「ある善人が死に追い込まれる時何もしない善人がいるなら、それは悪人以上の悪だ」
ということになる
日本人はいつまでも「善人でも悪人でもない者こそが人間」というあたりまえのことにいつまでも甘え
ある状況に置かれた時善い行いを選ぶという意志決定から逃げている
真・善・美を尊んできた西欧人にとっては
「善人でも悪人でもない者」という人間性を流動的に切り分け
状況によって「我は悪人なりや善人なりや」を問う
なので「ある善人が死に追い込まれる時何もしない善人がいるなら、それは悪人以上の悪だ」
ということになる
日本人はいつまでも「善人でも悪人でもない者こそが人間」というあたりまえのことにいつまでも甘え
ある状況に置かれた時善い行いを選ぶという意志決定から逃げている