「犠牲の分担」は公平かつ公正か
英紙東京支局長が問う「なぜ花見は中止するのに東京五輪は決行するのか」
2021.3.25 クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/columns/238681/
リチャード・ロイド・パリー
Text by Richard Lloyd Parry
「東京五輪中止」スクープ記事やコラムなどで注目されている英「タイムズ」紙東京支局長のリチャード・ロイド・パリーが、大好きな花見の季節にどうしても言いたいことがあるという──。
パンデミック対策の心苦しい仕事のひとつが、なぜ人を死なさなければならないかを決めることだ。権力を持つ人は誰もそれを認めたがらないが、これは避けて通れないことでもある。
人が大勢で集まることになれば、たとえどんなに厳しい予防措置をとっても、感染リスクを完全に取り除くことは無理だ。感染者の一部はやがて発症者となり、発症者の一部はやがて重症者になり、その重症者のなかから死亡する人が出ることになる。
死者をひとりも出さないつもりなら、私たち全員が例外なく、完全に引きこもるしかない。感染症がどこかへ消えるまで、仕事にも買い物にも出かけず、社交もしないのだ。
もちろん、それは不可能な話だ。そんなことをすれば即座にうつ状態になる人が多数、現われるだろう。自殺者も出るだろう。別の健康問題を抱える人が治療を受けられずに死ぬこともあるだろう。企業やエッセンシャル・サービスが破綻していき、社会の崩壊が始まることになる。
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