「撤退」は「転進」…言い換えで責任不問に
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1943年(昭和18年)になると、ごまかしは戦果以外にも及ぶ。ガダルカナル島からの撤退は「転進」に、アッツ島の守備隊全滅は「玉砕」に言い換えられ、大本営の作戦や補給の失敗は不問とされた。
44年(昭和19年)以降、本土が空襲にさらされ、戦いの前線が迫ってきても、大本営はウソを発表し続けた。ごまかしや帳尻あわせが破綻した後は、神風特別攻撃隊の攻撃が発表の目玉に据えられた。特攻隊の戦果は大幅に水増しされたが、国に身を捧げて得た戦果を疑うことは許されない。大本営は特攻隊まで戦果の取り繕いに利用したのだ。
辻田さんの集計によると、大本営発表では太平洋戦争中に敵の空母は84隻、戦艦は43隻が撃沈されているが、実際は空母は11隻、戦艦は4隻しか沈んでいなかった。でたらめな戦果は昭和天皇にも奏上され、天皇は戦争末期に「(米空母)サラトガが沈んだのは、今度で確か4回目だったと思うが」と苦言を呈したといわれる。
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太平洋戦争を首相として主導した東条英機(1884~1948)は、大本営発表の内容については電話で数回要望を伝えてきただけで、「敗北を隠せ」といった指示はしていない。
東条については、日米開戦前日に昭和天皇が開戦を決意したことに安堵し、「すでに勝った」と高揚していた様子を記すメモの存在が明らかになった(詳細は8月14日の読売新聞朝刊に掲載)。