なぜ罰則を作るのに歓迎ムードさえ見られるのか?
ーー菅首相が、昨年12月25日に記者会見で、給付と罰則をセットにした特別措置法の改正の方針を発表した時、世間はむしろ歓迎ムードだったと思います。「これだけ感染者が減らないのはまずい。飲食店の制限に実効性を持たせないといけない」という動機です。一般の人も罰則を設けるのを支持する空気が生まれたのはどうしてでしょう?
おそらくウイルスという見えない敵に対して、打つ手がないことに対する不安からだと思います。目に見える形で、何かを力で抑え込む安心感が欲しいのでしょうね。
ーーそれは逆に言うと、今の政府の対策が一般の人に安心感を与えていないということですか?
少なくとも、今まで「みなさんお願いします。3密を避けて、手を洗いましょう」とは言われているけれど、「自分たちはこれだけやっているのに状況は変わらないじゃないか」という不満はあるでしょう。
そうなると結局、「政府がやるべきことをやっていないのだろう」と思うようになる。
4月の緊急事態宣言の頃、私は世田谷の保健所を手伝いに行っていました。
コロナ相談室に「熱が出ている」「頭が痛い」などの症状を訴える電話以外に、「駅前のラーメン屋が開いているのは許せん。なんで保健所は閉鎖させないんだ」というような電話が結構たくさんかかってきました。
ーー「自粛警察」的な電話ですね。
そうです。それは保健所の仕事ではありません、と伝えるのに、その人が20分以上喋り続けるのです。
ーー無力感が募ると他罰的になるのでしょうか?
現時点では深入りして推測したくないのですが、一つ仮説を言うと、自分でかかるリスクがこの程度だと認識していて、それをコントロールできると信じられていれば、周りがどうであれ自分は大丈夫だと落ち着けると思います。
しかし、リスクは感じているし、自分でそれをコントロールできるという自信も持てない場合、周囲が「マスクをすべきだ」「ソーシャルディスタンスを取るべきだ」と求めた時、何も考えずに周囲の言うことを信じて従っていくかもしれない。
逆にリスクをそれほど感じずに、コントロールできるという自信を持っていると、周囲の言うことに従わずに自由に行動してしまうかもしれない。
リスクに対してどういう認識があり、自己効力感を持てているかという違いが、おそらくその人の行動を説明するのだと思います。
その認識の違いは、学歴なのか、男女別なのか、なんらかの社会的な要素によってできている可能性があります。それを今、調査しているところです。