話題のナイキ広告で噴出…日本を覆う「否認するレイシズム」の正体
訴求力をもったことは何を意味するか
ケイン 樹里安 2020.12.02
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77893?page=3
6つのポイント
この広告には次々に賛辞が送られており、それ自体が報道されてもいる(参照「『ありのままに生きられる世界、待ってられないよ』。アスリートへの差別、いじめを描くナイキの動画が胸を打つ」)。
しかしながら、一方で、上記の広告が添付されたNIKEのツイッターの投稿には、嵐のような罵詈雑言によって囲い込まれてしまってもいる。
それらを引用することは非常にためらわれるが、一例をあげるならば、「日本社会に人種差別はない、なぜなら自分の身の回りには存在しなかったからだ」といったコメントである。
このコメントをはじめとして、NIKEに寄せられた数多くのコメントは、わたしたちに日本社会の人種差別について考え始めるための手がかりをいくつも与えてくれている。
たとえば、以下の6つの点が挙げられる。列挙する。
(1)現代日本社会に人種差別は存在する
(2)日本のレイシズムはさまざまなルーツをもつ人々の「未来」を奪おうとしている
(3)広告は人種差別を否認したい人々に動揺を与えている
(4)人種差別の否認とは「気にせずにすむ人々=マジョリティ」の特権の行使である
(5)「自分のまわりで人種差別がない」ことは「日本社会にレイシズムがある」ことと両立する
(6)人種差別に共に抵抗するマジョリティも存在する
いずれも基本的な論点にすぎないと思われるかもしれないが、ベーシックな部分だからこそ、より発展的な議論を進めるために確認することに意義もある。粗削りな部分もあるが、まずは順に確認したい。
(1)現代日本社会には人種差別が存在する
映像作品に寄せられた否定的なコメントこそが人種差別の証左である。
なぜなら日常の人種主義(everyday racism)とは、先に指摘した周縁化・問題化だけでなく、「それは大した問題ではない」と問題を矮小化したり、そもそも問題の存在を否認するような「抑圧」のプロセスでもあるからだ。
むしろ、現代社会において人種的マジョリティが「わたしたちはレイシストではない」と否認しながら人種差別を行うことは、レイシズム研究で指摘され続けてきたことである。
現代日本社会には「否認するレイシズム」が存在していることを、コメント群はその存在そのものによって、明らかにしている。
全文は以下より
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77893?imp=0