中曽根の合同葬儀に令和元年予備費(税金)で8274万円だったのが9600万円に爆上がり
https://i.imgur.com/anRfMi8.jpg
https://i.imgur.com/ccndQFi.jpg
【歴史修正】中曽根康弘死去であらためて振り返る従軍慰安婦 中曽根の「慰安所つくった」証言と「土人女を集め慰安所開設」防衛省文書
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1575062244/
民衆の歌での歌おうか
✖️での
⭕️でも
もっとやれ
香田証生さんの遺体の搬送費用は家族に出させろで
隠居爺さんの葬儀に税金投入??
おかしな国
中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは 『終りなき海軍』
(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に
所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、
その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。
タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの
設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、
いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中に
こんな一文があったのだ。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものや博打
(バクチ)にふけるものも出てきた。そんなかれらのために、
私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、
たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、
ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、
ゴシゴシともまれてきたのである」
自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、
慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。
ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。
2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、
アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ.
LITERA 2014年8月29日 21時0分
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1601501356/