>>30
東條英機 (ひでき) にはつぎの三人の息子がいた。
長男 英隆 (ひでたか、1911年5月9日生)
次男 輝雄 (てるお、1914年9月23日生)
三男 敏夫 (としお、1925年11月9日年)
長男、次男は士官学校進学を志望したが、父英機は弱視を口実に兵役義務の
ない技術系に進学させ、それぞれ鴨緑江発電、三菱重工業に勤務して無難に
終戦を迎えた。
三男だけが陸軍士官学校に進学し、卒業後陸軍兵長、陸軍伍長を経て
陸軍軍曹になったが陸軍は父英機の意向を忖度し、戦線に出さずに安全な
後方配属のまま終戦を迎えた。
これと対照的なのが日露戦争の第三軍司令官乃木希典 (まれすけ) 大将と、
1945年8月15日に 「一死をもって大罪を謝し奉る」 と遺書をしたためて
自決した最後の陸軍大臣阿南惟幾 (あなみ これちか) である。
乃木希典は日露戦争に出征した長男勝典 (かつすけ) と次男保典
(やすすけ) を戦死で失った。また阿南惟幾の次男惟晟
(これあき、陸軍砲兵少尉) は昭和18年 (1943年) に中支常徳作戦で
戦死した。
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1179228840/949